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【北海道は「核家族化」ニッポン最先導地域】

当社では毎朝、ミーティングがあります。
そこで毎日1分間スピーチとして誰かが「コメント発信」することを義務づけています。
自己表現力を鍛錬することはこういう「情報製造業」の場合、欠かせない部分。
で、全国各地から(一部隣国韓国も)集まっているスタッフ構成で
いろいろ「生活風習・習慣」についての違いにそこで気付くことがある。
たまたまこども時代の「七夕でのご近所めぐり」の話題を提起の函館出身スタッフ。
「唄を流しで歌い練り歩いてご近所家庭からお菓子を供出させる」という「風習」。
子どもたちの集団がかわいい徒党を組んで練り歩くのだという。
「◎●▲◇、●◎▲◇、」って、わたしの道南函館では歌うんですけど、
みなさんの地域ではいかがですか? という問いであります。
というか、意図的仕掛けでスタッフ間「差異」を探究確認するのが狙いの様子。
スタッフは北海道内はそれこそ全域、道南、道央、道東、札幌周辺バラバラ
という構成なのですが、ごく一部からしかそういう「歌」への反応がない。
みんな「え〜。そういうの、ないよなぁ〜」という顔、顔。
というか、七夕の風習として、そういう「押しかけ集団」自体記憶がないという。
本州、仙台出身者や、東京世田谷、長野県などでも
「聞いたことがないし、歌ったことはない」。
あ、韓国では七夕自体ちょっと違う習俗のようです(笑)。ま、これは置いときます。
かと思ったら、札幌出身者約1名から「え〜、だれもいないの?」と驚きの叫び(笑)。
・・・かく言う最年長のわたしは、3歳から札幌中心部での暮らしでしたが、
そのような子ども同士の「コミュニティ」集団体験は記憶にない。
子どもコミュニティでは「石合戦」というまことに危険で暴力的な「徒党」経験は
怖ろしげな記憶としてあるけれど、集団で歌い練り歩く平和的な光景記憶はない。

北海道は日本全体各地からの「移民」社会がその本性であり、
しかもその出身地域から「仏壇背負って」来たような人はそう多くはない。
比較的に「村落」においては出身地域が共有されているケースがあるけれど、
より広域になってくると、そういう文化共有は薄まらざるをえない。
道南地域は、それでも北海道内では歴史経過時間が長いので、
「日本の一地方」意識も高くなって、地域性という生活文化のマユが育ったのか。
とくに札幌などの都市部に入所した人間の場合、
たとえば自分たちは瀬戸内海地域から来ているけれど、そのお隣さんは
北陸から来ていたり、その隣は東北から来ていたりとバラバラなので、
それぞれの「生活風習」にDNA的な違いがある。
いわば現代の「核家族」が超先導的に日本に導入された地域であって、
日本各地で違いがある「生活風習」は地域に根付かなかった可能性が高い。
いつも拙ブログに貴重なご意見をいただくTさんから以下のようなご意見。
「地域ごとの日本の伝統・趣ですが、ブログの通り北海道は、
習俗的なものに対して、ドライですね。
ドライになってゆく理由はいろいろ想像できますが、まず、気候。
習俗をやろうとするとき、現実のミスマッチが著しいですからね。
七草がゆ、ひなまつり、彼岸などもそうですが・・・。
七草は雪の下ですし、ひなまつりの唄の桃の花・梅の花はどこ?。
春の彼岸は、お参りというよりは除雪作業。神社で使う榊も生えていない。
さらに、家族が核家族が多いですから、習俗が地域に帰結していかない。
しかし、とはいえ一方で新しい習俗が生まれやすいもの確か。
食べ物の場合、石狩鍋、甘納豆の赤飯だったり、ちゃんちゃん焼きetc。」
といったご指摘がありました。まことに言い得て妙であります。

北海道はやむなく伝統を破壊し、一方で合理的な「新伝統」を産みやすい。
全国から人が集まって過密で3密な都会になっているのが東京で、
同じ全国集合でソーシャルディスタンスが極端なのが北海道なのかも知れません。
住の新しい合理性、暮らしやすさへの積極性なども北海道の特徴かも。
北海道「伝統」の全国混合スタッフで新しい生活感受性、発信したいですね。

【暴走覇権国家・中国の国際戦略での危機】

中国共産党独裁は、いったいどこに向かおうとしているのか?
〜本日はちょっと危うい現在の国際情勢・時事。非住宅ネタですがご容赦を。〜

今中国は全方位に敵を作り、目に余る剥き出しの「侵略国家」のふるまい。
世界中の迷惑・中華思想的な独善主義で「戦狼外交」に邁進中。
香港に対しては独裁専制国家そのものの暴政で強権の牙を剥き出し、
インドに対しては、国境で対峙するインド軍兵士を鉄棒で撲殺してきている。
新疆ウィグルでの「民族圧殺」への国際的非難にはウソと強弁の喚き声。
イギリスのテレビ放送での中国大使の居丈高な居直りはすさまじいばかり。
南シナ海での南沙諸島の軍事要塞化、国際司法裁完全無視の「行政区画」設定。
そして東シナ海では日本の尖閣諸島に対しての「侵略行動」。
ついには日本の漁民に対して、強権行使を脅迫してくるにまで至った。
さらに、日本領土の最南端・沖ノ鳥島に対して「島ではなく岩礁である」として
公然とした領海侵犯行為、測量行為を行ってきている。
まさに第2次世界大戦を引き起こしたナチスドイツと寸分違わない。
このふるまいのどこが、マルクスの唱えた人類的普遍思想の実現なのか?
孫子を産んだ兵法の国として、いまのかの国の国際戦略はまったく不可解。
ふつうに国家戦略を考えれば、主要敵性国家を絞り込んで
それ以外の国家群との「協調関係」を作って敵の孤立化をはかる、
「近攻遠交」〜遠い国と親しくし近くの国を攻略するのが戦略の基本。
そういった「理性的」戦略判断に基づいているとは思われない。
まぁ香港への対応について、一帯一路で手懐けた一部発展途上国群からは、
「中国の内政問題だ」という「強制された応援の声」もあるということなので、
かれらなりに、国際的戦略を立てて実行しているという思い込みはあるのだろうか?
しかし、ドイツ以外のヨーロッパ主流を含め世界の主要先進国は押し並べて
足並みをそろえて反中国の国際戦線が構築されてきている。
南シナ海ではアメリカ海軍艦隊が、暴走する中国艦隊に対峙する抑止行動を開始。
英国の空母も同調してアジアに派遣されるとしている。
対中貿易とロシア天然ガスエネルギーに深く依存しているドイツだけが
別行動を取りつつある、というのが当面する世界情勢。
ことしはアメリカ大統領選挙の年で、この世界最大の武力国家の帰趨が
不透明な状況であり、しかもいまのところトランプ政権継続には
黄色から赤信号が点っているとされているので、
中国としては「やれる範囲の限界まで」手を伸ばそうと考えているフシがある。
「どうせいまは、アメリカは大きな手は打てない」という足下見定め。

こういうのが中国を巡っての世界情勢ということでしょう。
そうした国際関係の中で先述のように日本も中国の侵略行為にさらされている。
第2次世界大戦での「敗戦国」という十字架から、占領連合国軍が強制した
「連合国絶対善・史観」への拝跪が根強い日本主流メディア論調だけれど、
しかしいまやその戦勝連合国体制そのものの「国連」すら機能不全に陥っている。
主要国であるアメリカが、世界の警察国家であることから撤収しようとしているし、
そもそも戦勝国ではない「中華人民共和国」が常任理事国を台湾から背乗り簒奪し
ロシアと結託することで利己的な利益追求をして、安保理が機能不全に。
そのロシアも「戦勝国」とはいえない。戦後世界体制は欺瞞に彩られている。
いまや国連事務総長・グテーレス自身がこのことを指摘している。
この流れからトランプは国連の一組織であるWHOからの脱退を宣言したけれど、
しかし民主党大統領候補バイデンは、就任したらすぐにそれを撤回と宣言。
世界はアメリカ大統領選挙の帰趨が決するまで、どうしても不透明状況が続く。
この間隙で中国の侵略の実験地域として尖閣や沖ノ鳥島がピックアップされ
侵略行為が現実化され既成事実化される危険性は高まっている。
戦前の「関東軍」のような「戦狼」跳ねっ返りが中国内で暴発する可能性はある。
そういう事態を抑制するような姿勢は習近平体制からは見えない。
いまとなっては危険極まりない「習近平国賓来日」カードは、むしろ
このような中国の侵略行為のなかで日本の行動制約要素になってしまった。
自民党若手による対中非難の動きは、現政権内での路線闘争といえる。
中国の侵略姿勢は、コロナ情報封鎖への不満と経済苦境から目をそらさせるため
対外的緊張を高めているという側面が大きいといえるけれど、
巨視的には中国はこのタイミングで対日侵略カードを切ってくる可能性はある。

国連体制、第2次世界大戦後の「戦後体制」が、
最終的に崩壊するタイミングが迫っていると思っていた方がいいかもしれない。
その時を考えて日本の進路を見定める必要があるのではないか。

【住宅投資意欲4月の底から6月へ急回復】



一社)住宅団体連合会という大手ハウスメーカーの業界組織が
「新型コロナウイルス感染症により落込んだ経済の早期回復に向けた
経済対策要望」を、7月13日に国土交通省住宅局に、7月14日には
経済産業省・環境省に経済対策要望を提出したという一般へのHP発表。
その発表文中に、上記のような「アンケートデータ」が添付されていた。
いずれも大手ハウスメーカー対象の調査データですが、
おおむね現在のユーザーの「心理状況」は表現されている。
図表はそのなかでの説明資料。この図表からは新型コロナによる
「社会収縮」の凄まじさがマジマジと伝わってくる。
とくに「住宅展示場新規来場者数」の推移を見ると、
3月で大きく下降が始まり、4月には対前年同月比80%を越えるダウンぶり。
5月には若干の上昇が見られたけれど、ほぼマイナス80%レベル。
一方で6月には「緊急事態宣言解除」があって、20%ちょっとのマイナスに収まった。
この「ユーザー心理」動向が全体の傾向を示していると思われる。
各ハウスメーカーの受注状況を示す「戸建て・低層賃貸」受注状況は
完全にパラレルではなく、3月・5月が「底」を打った状況だけれど
6月にはどちらの指標も上昇傾向を示している。
やはり全体として、「緊急事態宣言」の動向によって経済状況が連動している。
いまの感染拡大傾向のなかではあっても、経済をどう回すべきなのか、
知恵と工夫で対処していくことが求められているといえる。
ひとは感染症で健康被害を被るけれど、経済が止まれば食べても行けない。

このような住宅業界のマクロデータと呼応するように、
3つめの「消費マインドの動向」も、4月で底を打って5月6月とマインドは
徐々に「経済復興」の指標を示し始めていると言えるでしょう。
日本は10月に消費増税があったので、そういうマイナス要因に
この新型コロナが「追い打ち」というような状況であることは間違いがない。
住宅分野では、4−5月の「住宅展示場来場者数」の極端な落ち込みが
とくに注文住宅の場合の「プロセス時間」のタイムラグとして
今後の受注状況に対してどういう「跛行」原因として影響してくるか、
今後の展望の注意ポイントだと思われます。
やはりユーザーは、いざ住宅を検討するには一定の「準備期間」を要するので、
その時間的な長さに変化がないとすれば、影響は避けられない。
こういった状況に対して、作り手の工務店などでは国の「補助金・助成金」が重要。

上は工務店の全国組織JBNの調査ですが、早い4月段階でも
こういった国の手厚い「中小企業経営防衛策」への高い関心が見て取れる。
作り手のスタッフの雇用の安定、企業の経営保全への手当てが、
比較的に幅広く行き渡っていることが見て取れる。

さてこのような状況が4−6月の「住宅業界」マクロ指標。
こういうなかでどのような「対応策」が有効であるか、情報力を高めて
個別顧客へのアピールを考えていくことになる。
このようなキビシイ状況だけれど、一方で「おうち時間」の充実という
住宅「品質」への興味は広範にユーザーに起こってきている。
テレワークの普及は、2拠点居住などの前向きな住宅投資も掘り起こすと思われる。
既存の住宅価値感〜岩盤的な「利便性志向」の一部決壊が予測される。
都心への通勤利便性に代わって、家で過ごす時間の充実、価値感向上に注目。
いわば、「住む品質」が問われる局面になるのではないか。
誌面にしろWEBメディア、情報拡散にしろ、Replanでは住生活の豊かさに向けて
大いに情報掘り起こしを行っていきたいと考えています。

【オオウバユリ あっという間に開花から「結実」に】


札幌円山自然林のなかの「オオウバユリ」群落。
わたしの場合、つぼみを林の中で発見してから、開花寸前までが
まことにドラマチックだと思っています。
その後は、たくさんの花が面として咲き誇り満開時期を迎える。
この時期になると、不思議と「あとのまつり」的な雰囲気を感じてしまう。
急速に観察行動が緩慢になってしまうのですね。

北国人というのは、夏の暑さを激しく希求するけれど、
その暑さが来て見ると、途端に夏バテしてしまうのにも似ている(笑)。
・・・っていうのが例年の通例なのですが、
ことしは依然として「ステイホーム」的な雰囲気が続いているので、
夏が到来してもイマイチ、海や山やという気分の盛り上がりがない。
ということで、満開からのオオウバユリとも対話しております。
植物というのは、花はいっときの「仮の姿」であって、
人間どもはその美を愛でることが楽しみかも知れないけれど、
植物にしてみたら、この一連の過程で次世代継承することに余念がない。
花から「結実」させて、今度は種を産む過程が本格化する。
下の写真の左側の方に人間の興味は集中するけれど、
かれらにとっては、右側のタネ生産プロセスの方が貴重な時間かも。
オオウバユリはユリ科の花の繊細な造形美もあるけれど、
それらが1本の茎から多数花開く、ラッパのような群生ぶりがオモシロい。
その乱舞が一段落すると、花は急速にしぼんで
枯れた色合いに変わっていって、今度はその花の衣装を脱ぎ捨てた
結実の「タネの揺りかご」のような造形に変わっていく。
写真のように、上向きの「矛」のようなカタチに変容していくのですね。
いのちの変容の不可思議さにこれもまた驚かされる。
しかし、季節は盛夏よりもまだ時間があるけれど、
オオウバユリは季節を先取りして結実の秋に早々と歩を進めるのですね。
たぶん、この先取り変化スピードが速すぎて
人間の側では「もうちょっと夏を楽しみたい」という心理が強くて
観察意欲が薄れていく原因であるのかも知れない。

まぁしかし、わたしの観察の方が「先取り」しすぎで
上の写真のような群生ぶりも、やはり多くの人間を惹き付けてくれる。
花のいのちは短いけれど、その華やぎ、彩りもたのしい。
北国はいちばん遅く夏がやってくるのに、もっと楽しんでと
物語ってくれているようにも思います。

【新型コロナと社会分断・地方の地盤沈下】

昨日は久しぶりに「遠出」しておりました。
梅雨の気候が続く本州地区とは違って、北海道きのうは札幌で28.2度。
ほぼ快晴と言ってもいい天気で午後からカミさんと郊外へ。
久しぶりのドライブで各所で「キャンプ」風景が展開。カミさんのひと言。
「わたしたち子育ての時、いろいろな所に行けてよかったよねぇ・・・」
そうです、キャンプ施設などでは親子連れの行楽風景が見られたけれど、
新型コロナ禍による行動抑制で、ひたすら「Stay-Home」暮らし。
まさに待ちかねていた様子がしのばれてきたのです。
わが家も同様ですが、まだしもわが家は子どもたちは巣立っている。
夫婦ふたりだけ家でのストレスは大きくはない。まぁ夫婦ケンカもあるけれど(笑)
それに引き換え、成長期の子どもさんのいるご家庭は
そのストレスたるや想像にあまりある。どこにも行けない苦しみ。
それがようやくにして天国に一番近い季節の北海道で楽しめるといった様子。

しかし、その矢先にまたもや東京起点の新型コロナの蔓延拡大状況。
キャンプなどは、自然に親しむ行楽であり、
おおむね行動もクルマということもあるのでむしろ奨励すべきと思うのですが、
自粛気分が支配的な社会風潮から「空気を読んで」しまうのがフツー。
さらに、北海道はまだこういった郊外での娯楽に親しめるけれど、
東京などは、梅雨による雨も続いて追い打ちでの滅入るような感染拡大。
心配していたGoToキャンペーンも東京外しでの実施。
いまの感染拡大は「攻めの検査」で若年層の「無症状・軽症」者が多いとのこと。
緊急事態宣言のなかでの感染拡大とは違って、
重症者は少なく、重篤化が懸念される高齢者の割合が低いともいわれる。
しかしどうしても「感染者数」という指標が大きく取り上げられる。
「空気を読む」日本人気質として、ふたたび萎縮に向かう傾向が強まる。

どうも高度情報社会化がはじめて出会った世界規模疫病で
社会の方の「対応の仕方」により大きな経験不足があるのかも。
スペイン風邪とか、結核とかが蔓延した当時には、
このような情報社会、大衆化社会は進展していなかったので、
疫病は疫病の問題として、そう大きくは政治経済の問題にならなかった。
その意味で疫病情報の「社会常識」というものが現代では育っていない。
ひたすら危機発信を「オオカミ少年」のように繰り返すことは
社会収縮の方向をより強めているように思える。
経済基盤は「移動の自由」によって支えられてきたことに、
それが大きく毀損してから気付かされる。

この疫病によって社会の分断、地域ごとの分断が進行するのでしょう。
そのとき、地方はバラバラにされ全国規模での経済参入障壁が高まる。
分断の結果、地方のさらなる地盤沈下が懸念されると思います。

<写真は愛で生き延びるオシドリ一家>

【播州英賀「参入勢力」の産土神利用・人心収攬】



新型コロナ禍でなかなか他地域への交流拡大は難しい。
なんといっても移動にはリスクが伴う。勢いブログ記事も過去に取材の
民俗的建築からの歴史探究に傾倒気味。本日は「鄙」の神社事例。
最近とくに播州の「三木家住宅」など家系伝承に取材した記事が増えております。
こういう現地検証済の身近な事例は、想像力が強く刺激される次第。
中世社会で、他地域からその地に新規参入した勢力側は、
どのように地域への参入・浸透を進めるのか、そのひとつの事例。
播磨国の「飾磨」湊に上陸し地域に根を張ろうと考えた三木氏は
この地域に深く根ざしていた「英賀神社」を利用した痕跡を発見した。
寄進を行い、新規の神さま勧請・社殿造営したと思われる記述が残されている。
地域を開発した産土神の社殿造営で人心を懐柔し経済振興を仕掛けた・・・。

上の写真はまことに古格な英賀神社社殿であります。
鳥居も横架材が掛けられていないで2本の掘立柱だけが立ち、
その間に「注連縄」が連結させてあって「結界」を構成している。
よく見ると社殿本体には上向き湾曲の注連縄もあって、目玉風の仕上げ。
合間から本殿建築が表情を覗かせ、
「唐破風」成立以前の建築様式を感じさせるファサードデザイン。
以前、このブログで神社建築の「ギョロ目デザイン」を書きましたが、
建築デザインにプラスして注連縄が「神さまが見ている」みたいな印象を
正対する人間に受け取らせるように仕掛けられている。
この英賀神社は、かなり古格な神社で、「縁起書き」にも、
英賀の地を開拓開発した古神男女2体英賀彦と英賀姫が書かれ、
伝承的な産土神信仰対象であったことが見て取れます。
1443年頃壮年期の家系の「三木通近」は、河野水軍瀬戸内海海上勢力で
その重要拠点として播州「飾磨湊」の支配権を確立することで
瀬戸内海の物流を抑えようと考えたと思われる。
讃岐地方から麺類の製法ももたらし地域産業振興を図ったとの家系伝承。
播州は「揖保乃糸」が有名で福崎の三木家でも「もちむぎ麺」にゆかりがある。
中世社会において武家という専門職意識は希薄で、たぶん自覚はしておらず、
商業にしろ工業、流通業にしろ地域振興が最大の「勢力」源泉だった。
経済と軍事・政治は一体的不可分であったと思われる。
河野「水軍」というのは戦時における「組織形態」ではあるけれど、
平時には海運流通を担う商業者ネットワークというのが実態。
商業者は、各地の在郷勢力と物流交易関係で深く結びつき、
その物資集散拠点として「湊」の支配を大きな勢力源泉とした。
三木氏は播州でこの飾磨湊を拠点化し、内陸水運要衝であった「英賀」も抑え、
地域の守護勢力、赤松氏と関係を深めていくのですが、
そのことと軍事的な能力云々とは直接関係がないと思われてならない。
まぁ経済を抑えているので、専門的軍事力は傭兵的に雇用していたか?
活発な水運流通展開が一族の主目的と思われる。
中世を通した経済発展「瀬戸内海物流ネットワーク」との繋がりこそが
在地の守護家・赤松氏にも、在郷の庶民にとっても非常に有益で重要だった。
支配を地域の人心に納得させ、平和的に受け入れさせるために
この古格な産土神信仰を利用しその振興に取り組んだようなのです。
社殿造営でさまざまな「産業」が刺激され、利益を地域経済にもたらした・・・。

どうも記事中の三木氏は、武家でこの地を「軍事的に制圧した」というより、
商業者的に、懐柔的に支配を進めていったように思われるのです。
中世史は軍記物より、地域経済史的解析の方が実際的ではと思う由縁です。

【なぜ各地神社ごと注連縄デザインは違うのか?】



宗教建築、とりわけ神社は毎日、北海道神宮に参詣する習慣もあって、
各地を訪れる度に各地域の神社を参拝させてもらいます。
まぁ歳も取ってくると、夜のクラスターのような場所は縁遠い(笑)、
こうした場所が親しい訪問場所になるのは、ごく自然でしょう。
建築としてこれらの神社建築はそれはそれでオモシロいのですが、
東大工学部・内田祥哉名誉教授から親しくご教授いただいたところでは、
神社仏閣建築では明瞭な「様式の違い」というものは確認できない、
というように断言されておられました。
日本の建築学の中枢にいられる先生からのお言葉なので、
そのように素直に受け止めさせていただいておりました。

なんですが、その周辺的象徴デザイン装置として「注連縄」があります。
どうも最近、この注連縄の「デザイン」の違いについて興味が募っています。
まことに全国各神社で個別デザインのオンパレード。
大きなグループ分けは可能だけれど、個別の違いも大きい。
たくさんの神社建築写真がありすぎるので、いわば代表選手的に
上から出雲大社、北海道神宮、そして相模国一の宮・寒川神社であります。
まぁ神社と言えば、伊勢神宮が中核中の中核でしょうが、
ご存知かと思いますが、伊勢では内宮・外宮とも注連縄はない。
榊がそれに代替するとして位置づけられているそうです。
そのこともまことに興味深いなぁと思っていますが、一方で伊勢のすぐ近くに
有名な「夫婦岩」があって、その夫婦は注連縄で結ばれている。

どうもこれの印象が強烈で、地域全体の「注連縄」の代わりではないのかと
思い込んだりする次第。「あれがあるから、ウチはいいだろう」と伊勢は考えた?
歴史年代を通してこの縄は波濤に耐えてきたのですから、
その継続管理努力たるや並大抵ではないだろうと思います。
伊勢地域全体を「引き締める」ような役割を果たしてきたのかもしれない。

おっと、横道にそれる。で、上の写真の注連縄群。
出雲と北海道神宮は、どうもでっぷりとした中太り横綱系のデザイン志向。
わたし的にはこの流れが「正調」と思っていたのですが・・・。
出雲の写真は「神楽殿」ですが、拝殿のものも同じデザイン。
初めて見たのは神楽殿で、その圧倒的な重量感に「おお」と感動した。
神社史からも最古参級の出雲に対して最新の北海道神宮の注連縄は、
上にオマケで俵が乗っかっているデザイン。
こういうのもほかであんまり見たことはない。
開拓の願いを込めて、地域の物なりがよくなるように願掛けしたのでしょうか?
注連縄本体は、出雲とは違ってねじれの少ないシンプルな中太りデザイン。
両端部分に組み紐的な飾りがつけられているのは、ご愛敬か。
で、関東、相模国の寒川神社では、注連縄は真一文字。
気持ちいいほどの「一本気」を感じさせるデザイン。
静岡県の三保の松原の御穗神社(下写真)でも同様の注連縄だったので、
「東海」地域のデザインであるようにも思われるのですが、さて。

神社の注連縄ってその場で「見比べる」ということは出来ない.
「お、注連縄か」と認識する程度で、オリジナリティに気付くことはそれほどない。
わたしは「地域住宅雑誌」を発行し続けてきたので、
こういった地域ごとの「文化の違い」ということが、どういう文脈なのかと
考えることが習慣化している部分があって、地域偏差がどうも気になる。
行方が心配・気がかりな「GoToキャンペーン」ではありますが、
健全な旅行観光の目玉としての神社仏閣の建築周辺デザインについて、
みなさんのご意見もうかがえればとブログに書いて提起する次第です。
お気付きの点を、ぜひ教えてください、どうぞよろしく。

【DNAの不思議なナゾ 人は「縁」を生きる?】


北海道は日本の他地域からたくさんの「移民」が集まって成立した。
「核家族先進地域」と評した人がいたけれど、
初期北海道に、「仏壇を背負って来た」ような家は多くはなかったのでしょう。
大多数は「一旗揚げて郷里に帰る」というメンタルで北海道に来ていた。
祖父は出身地(広島県福山市郊外)と北海道で「分骨」して眠り、
父親がはじめて北海道だけに「骨を埋めた」。
わたしは北海道ネイティブの第2世代。
ただ、北海道人というのはそういった出自を背負っているので
自ずから、北海道以前のルーツについて関心を持つのかも知れない。
あるいは逆に無関心を強く通そうとするのかも知れない。

写真は家族旅行で訪れた「瀬戸内海」の様子と高速道路図。
道路図は淡路島から徳島上陸後、高松自動車道・津田の松原PAで撮影。
このPAの先には「さぬき三木」というICがある。
瀬戸内海を挟んで播州平野には「三木」というICもある。
姫路周辺には三木家ゆかりの古民家などが集中している。
家系伝承では、尾道近辺、福山や四国の愛媛県地域、讃岐地域などに縁があり
瀬戸内海地域で遠くは「河野水軍」の一翼として活動していたと。
そして1440年代に播州の飾磨という湊地域に根拠地を持つに至り
地域の「赤松氏」との縁を深めていったという。・・・
で、行って始めてわかったのが、このPAが「津田」の名を冠していたこと。
なんとカミさんの旧姓は「津田」なのです。
「三木のとなりに津田かよ」と家族で大笑いした(笑)。う〜む偶然か・・・。
DNAの古層でなにか沸き立ってくるように「縁」がざわつく感じ。
こういう「縁が身近」という雰囲気は、北海道では強くは感じない。
祖父や父が住んでいた、自分がそこで産まれたという土地に対しても
格段の「ゆかり」を強く感じたりはしない。
むしろ「通り過ぎてきた場所」という感覚に近い。
これは、個人的には「湿度」が大きく関係しているような気がしている。
北海道地域は基本的に「ドライ」であって、空気に重量感がない。
縁のある土地でも、基本的に空気流動性が良くて、
どんよりと定置的な重量感が希薄なのだと思ったりする。
一方で瀬戸内臨海地域では、海を渡る風も湿潤で、いかにも感情がこもる。
そういった空気感の中で、感受する事物に感じ方の陰影が濃くなる。

いずれにせよ、数度家族旅行で訪れたけれど、
カミさんもこの空気感には自然に浸れるような感覚を共有している。
DNAのどこかの部分が、いろいろな「刺激」を全身で受け止めて、
まったく意識下で反応を見せているのかも知れない。
人間はそういうDNAの意識下の気分に導かれる部分があるのではないか。
未知な謎めいた「気配」に素直に従いそうな自分がいます。
あ、これは別に「GoTo」キャンペーン協賛記事ではありません(笑)。

【庭の美vs自然の美 in北海道】


新型コロナ禍がふたたび不気味な猖獗を見せています。
やむなくSTAY-HOME的な暮らし方で対応することが広がってきて
「庭」への興味関心が高まっているとされてきています。
Replanは北海道を基盤とした住宅雑誌として、
さまざまなテーマを「全国誌」とは違った視点、地域の注文住宅づくり
という視点から考えてきている雑誌です。
地域雑誌とはいえ、その地にふさわしい「深みのある暮らし方」を希求する
多くの注文住宅ユーザーの心理に即したテーマ展開を心がけて来ました。
そのなかで、庭というテーマはなかなか悩ましい領域。

北海道は本格的に「都市」が営まれ、現代的住環境が作られてから
それほどの時間の蓄積がない地域。
200万都市札幌であっても、まだまだ「空隙」の余地が大きく、
年間6m積雪という条件から、残余地の割合がまだまだ大きい。
庭は基本的には「塀」で区切った私有地内で人工的緑を造営する営為。
札幌も日本の一部とはいえ、ものの数十分クルマを走らせれば、
大自然が原始の環境を開放的に見せてくれる。
その魅力の前で人工が果たして敵うものかどうか、ギモンが多くの人にある。
塀で隣接地との間を区切ると、除排雪に困難が伴う。
年間積雪6mを越える地域として、除雪のしやすい平坦な建築同士の空隙が
求められるという事情が大きいのかと思っています。
たとえば上の写真のような「お屋敷」の庭の植栽群に常時1−2mの
積雪があったとしたら、その雪の管理は非常に難しい作業を強いられる。
複雑繊細な「枝ぶり保護」のために雪囲いをしても、
その年の積雪荷重が予想を超えていった場合、破断も避けられない。
そういう危険を覚悟してまで、造園にお金を掛けるのは合理的ではない。
従って繊細な庭造りという志向は弱くならざるを得ない。
ちょっと目を向ければ、都市のごく近くにすら原始の森も保全されて
すさまじいまでの「自然の美」を堪能することが出来る。
下の写真は最近よくご紹介している札幌市中心部の円山自然林。
新型コロナ禍でわたし的に地域再発見は進んでいるのかも知れない(笑)。
札幌市中央区で都心から2−3kmに原始のまま保全された自然がある。
写っているのはカツラの巨木が3本、自然のママにある様子。
幹の途中から上は破断しているけれど、それはそれで
荒々しいこの地の気候条件そのものを表現していて、厳しさの美がある。
箱庭ではない、自然だけが造形できるダイナミックな美感の世界。

しかし一方で、上の写真のような箱庭も、
建築が意志的に造形した、という美感を強く感じさせてもくれる。
この両方の「美感」の間で、まったく新しい「庭の美」というもの、
環境と共生しながら楽しめる「建築的な美感」というものもあるかも知れない。
花鳥風月という日本人的世界観、美感が北海道という大地で
どんなふうに花開くことが出来るかどうか、その可能性は興味深い。

【札幌円山自然林「オオウバユリ開花」宣言】


毎朝の散歩道で楽しませてもらっているオオウバユリ、
ここ数日でほぼすべての群落で各個体がいっせいに「開花」しています。
写真のように、いかにも「ユリ」の花の一種族であることがあきらかな花弁ぶり。
下の写真のような「群落」として目立ってきた次第です。
こういう状態になると、多くのみなさんが足を止めて観察される。
きのうも中高年のご夫婦の散歩中に遭遇。
わたしが「定点観察」している様子をご覧になって話しかけられてきた。
「これは、ユリですよね?」
「そうです、オオウバユリという自然保護された自生植物ですよ」
と、その根茎部分に堆積するデンプン質がアイヌのソウルフードだと説明。
いたく関心を示されたので、つたない説明をさせていただいた。
「いったいどんな味覚がするのでしょうか?」
「一度、苫小牧駒澤大学でのイベントで食べたことがありますが、・・・」
と話したら、目を輝かせて興味津々。
「わたしの味覚からすると、やや淡泊すぎて」と。
おふたりともワクワクと、強く興味を持っていただけたようでした。
お話の感じでは、北海道在住者ではなく本州地域から転居されて早々の様子。
この円山自然林の「価値」について認識を新たにしてくれたようでした。
地元人間としては、このように情報拡散できることはウレシイ。

群落は円山のふもとの川辺に沿って自生している。
たぶん和人社会がもっと興味を持っていたら、栽培食物として
DNA改造に着手して畑で大量生産させたものかも知れないけれど、
歴史経緯としては、そのようになされることはなく、
まるで円山自然林の「シンボル」的な存在として存続してきた。
写真のような、やや疎とはいえ、けっこうな密集群落ぶり。
こういう状況を見て栽培食物として利用しなかったことがやや不思議。
アイヌの人々も一定の耕作は行っていたはずですが、
そういう興味からもややズレがあったのかも知れません。
ただ、自生地は湿潤が条件なので定住地周辺には適さなかったのか。
たしかにソウルフードではあったけれど、主要デンプン質とまではならなかった。
アイヌの食習慣というか、婚礼時に「コメを山盛りでたべる」という
「伝統」があったとされていますが、
和人社会との「交易」でより刺激的な「コメ」文化に遭遇することで
地元の食材としてそこまでは有用性を持たなかったのでしょうか?
そういった文化経緯を経ていまわれわれは、
ごく自然で悠久な大地のいとなみを現代でも体験できている。
オオウバユリの群落が200万都市の中心に近いところで触れられる。
このことの方が、社会文化としてはきわめて価値が高い。
個人的にはそのように考えてきております。
夏の札幌。ビヤガーデンもいいけれど、こういう自然植生も楽しんでいただければ。