本文へジャンプ

【北方型住宅2020 その性能基準は?】


さて昨日アナウンスさせていただいた「北方型住宅2020」基準。
上の表組みは、国の「長期優良住宅基準」と比較したもの。
住宅の性能基準にはさまざまなレベルがあります。
制度設計を現在段階で行っていくときに、いろいろな考え方があり得る。
「世界最先端の・・・」というような基準を策定するのもひとつの考え方。
住宅「エネルギー消費」に極限的にこだわるゼロエネ・創エネ的な方向もある。
「差別化」基準として、住宅性能値競争を仕掛ける考え方もあるでしょう。
多様な価値観のなかにあって、そういう志向性もありだとは思います。
それを実現可能な「作り手の技術レベル」も北海道は先端的に高いのも事実。
しかし住宅はふつうレベルで生活する住まい手があって成り立つもの。
当然生活水準・所得水準も考え合わせた、総合的「品質」が問われてくる。
よく言われるように、一例としての「ドイツパッシブハウス基準」は
北海道や北欧などの「寒冷地」でそれを実現しようとすると、コストとメリットの
バランスからはやはり過重なコスト負担が避けられない。
たとえば年間で暖房エネルギーコストを1万円削減するのに
初期建設コストが100万円増えてしまうのであれば、価値感は揺らぐ。
それこそ出自たる「開拓使」の理念、地方自治体である北海道からすれば、
この地に安定的に暮らせる人口を維持し増やしていくことがより重要であり、
他の地域に対して「差別化」して住むことが目的ではない。
より「住みやすく」「建てやすい」という住宅であることが大切だと思うのです。
飛び抜けていい数値基準の少数の住宅よりも、
ユーザーフレンドリーな価格と品質性能が平均値として保障されることが有益。
そういった方向性で、作り手のレベルの高さを維持し発展させることが、
地域自治体の「技術資産維持」にとってもきわめて有用という志向性。


この「北方型住宅」基準では、きわめて特異的に「作り手の要件」を重視している。
BISという地域認証の「断熱施工技術者」資格を推奨しているのです。
っていうか、事実上そうした技術資格者がいない工務店ビルダーは
この基準から想定されていないといえるのです。
絵に描いた数字を重視するのではなく「確かな作りよう」を重視している。
数値基準レベル自体はどんどん上げていけるかも知れないが、
それ以上に地域社会の技術品質レベルの確保に優位性を見ている。
この点が、北海道の住宅基準が大きく異なるポイント。
BIS資格について講習で「テスト」が実施される。けっこうキビシイ。
国の一般的な技術資格では「講習受講」だけが義務化されている。
また更新時講習では、常にリアルな最新技術知見が情報共有される。
貴重な地方自治体の建築技術資産の永続性を担保しているといえる。
そして上の表のように、特定の数値項目だけではなく、
いろいろな技術指標について、偏りなく各項目が網羅されている。
「履歴情報の保管」という項目がありますが、
一般的には「保管義務」があるとしか規定されていないものが、
北方型住宅では、公共的な保管機関までが用意され
万が一問題が起こったときにユーザーの権利が保全されるように
社会的に十分に機能することが仕組み的にも担保されている。
総体としての制度設計が歴史的検証を経てきているといえるでしょう。

【北海道の住宅施策「北方型住宅2020」発進】

日本は中央省庁による産業界支配が強固な国だと思います。
明治開国以来、殖産興業政策は日本の基本国策であったといえる。
欧米各国は「列強」として帝国主義全盛の時代、一歩間違えば
即座に「植民地化」という匕首を突き付けられながら、
天皇制という体制での国民の高い「国家意識」を唯一の拠り所にしながら、
ひたすら欧米をキャッチアップして国家社会の発展に努めてきた。
資本蓄積と産業の技術基盤が未熟な国家社会で、政府の強い行政指導が
全産業領域で活発に展開されていった。いわば国家資本主義的発展。
エネルギーとして石炭が注目されて近代工業化が計られていったとき、
新開地としての北海道は資源供給基地となって有効活用された。
そこから全産業が活性化して、有色人種国で最高レベルの国家意識が
国家発展の大きな基礎を形成し、高い教育レベルもあって、
中央省庁のコントロール下での産業発展が進展していった。

住宅建築においては、明治期の「文明開化」による洋風住宅化があった。
しかしそれはいわば上辺のデザインに偏ったモノであり、
一部の金持ちたちの文化としての「高級住宅」「和洋折衷」型デザイン。
一般庶民はごく一部の「中流」サラリーマン家庭が戸建て住宅を作ったに過ぎず、
大部分は江戸期からの「長屋賃貸」が基本の住環境だった。
しかし、北海道だけはまったく違う様相で推移発展していた。
民族の「新開地」北海道は、他の日本とはまったく違う気候地域。
多くの地域では表層的デザインにすぎなかった「洋造住宅」が
寒冷地対応の合理性の高い建築として推奨され根付いていた。
他地域で開口部にガラス建具・窓が導入されるはるか以前から北海道では
高価な「輸入建材ガラス」が、一般開拓民の住居でも普遍的に導入された。
その「新建材」が北海道が必要とする「気密性」に不可欠だったのだ。
始原期からすでに「性能要件」が優越的条件とされる住宅市場環境。
一方でそもそも「開拓使」は、始原において時限的「中央省庁」であった。
当時世界最強とされた軍事国家ロシアとの国境を樺太と北海道の間で画定。
国防という最優先事項の必要性から北海道の領土経営がはじめられ、
明治天皇の勅祭をもって開拓三神が北海道に遣わされた。
日本の自主独立を確固とさせるために北海道に民を移植することが安保上の
最優先事項でもあったことがDNAに深く刻み込まれている。
明治初期を代表する武人・黒田清隆が長く開拓使を背負ったのはそうした理由。
地域が求める「住宅性能合理主義」と開拓使的「強い行政指導」。
これが明治の最初期から日本と北海道の住宅産業を特徴付けていた。

この先人の取り組みを受け継いで、開拓使後継地方自治体・北海道は
戦後、地域独自の建材・コンクリートブロック造での家づくりまで踏み込んだ。
また、高断熱高気密工法として2×4木造に先導的に取り組んだ十勝地域、
在来木造工法の革新に取り組んだ高断熱高気密化の住宅運動、
などなど活発な技術開発の進展で全国の技術革新を先導してきた。
このよき伝統を受け継ぐ北海道独自の住宅施策が今回、
「北方型住宅2020」という現代化した住宅コンセプトとして始動。
この秋には運動を推進する中心の作り手たち「きた住まいる」メンバーによる
「オープンハウス」公開など広範な活動も予定。
地域の工務店・建築家の共同での高品質の家づくりを仕掛ける地方自治体として
地域に根ざした家づくりを強力にバックアップしている。
オリジナルなモデル住宅企画「南幌きた住まいるヴィレッジ」なども事業継続。
まったくユニークな地域独自の住宅運動として、ふたたび日本の住宅革新を
リードし続ける「北方型住宅2020」に注目です。
この北海道の住宅施策について折に触れ、最新情報を今後お伝えしていきます。
<マークは公募された北方型住宅2020アイコン>

【150年ワンスパンで歴史・住宅を捉える】

やむを得ない「行動変容」を迫られて仕事の仕方、生活の仕方も
やはり元には戻りきらないように思います。
ようするにこれまでの生き方から離陸して新たな模索をしなければならない。
そういうときこそ「歴史に学ぶ」ということが不可欠だろうと思います。
今次の新型コロナ禍で「感染症と日本社会」について、いろいろ気付きがある。
たとえば日本住宅でなぜ「南面する縁側空間」が強く求められたのか、
そのDNA的刷り込みの理由には繰り返された感染症対応での
健康維持空間という知恵・経験知もあるように思います。
「民族経験」のなかから先人が選び取ったものを学ぶことはまさに生きる知恵。

で、わたしどもの基盤・北海道が150年の歴史を積み重ねてきたことから、
この間の建築にしろ、住宅にしろ、その考え方は非常に身近に感じられる。
この150年の歩みというものが教えてくれているモノは非常に大きい。
そして、この時間空間がひとつの「かたまり」を構成してくれている。
多くの先人が関与した結果、高断熱高気密という大きな流れにまとまっている。
それこそ島義勇開拓判官が札幌開府のために入地して以来、
さまざまな「開拓努力」が傾注され、とくに住宅に大きな革新のうねりがあった。
この時間をワンスパンとして捉えることで、
歴史に対してのおおつかみな視点を持つことが出来るように感じる。
この150年掛かって変化してきたことが、ひとつの「モノサシ」になって
ほかの時代のことを想像するときに確かな根拠をもたらす。
150年という歳月は、江戸期でいえばその1.8倍程度の時間であり
奈良時代は半分程度というように把握できる。
この150年で革新できたこと、進化したこと、変わらなかったことなど、
類推の大きな「よりどころ」が見えてくるのですね。

そんなことに気をつけていると、
住宅という領域の「進化」プロセスは、人文的な変化とはややタイムラグ、
というか、変化の様相の時間尺度はより大きなモノだと思う。
なんといっても日本史では平安時代や室町くらいまでは「竪穴住居」や
それのごく変位形態くらいが「一般住宅」であった歴史が見えてくる。
まぁ貴族や高級住宅としての寝殿造りや書院造りはやや様相を異にするけれど。
古代東北の対朝廷戦争であった「アテルイの反乱」での根拠地と目される
「穴居」とは、洞窟住居だったりしている。
平地住居、床が高くなった「高床」住居というのは、箱木千年家を見ても、
土壌の温熱・蓄熱利用の土間住居とかなり長期間、併存していたように思われる。
そういう変遷の実際を見つめつづていると、北海道開拓からの
洋造と擬洋風、さらに現代的高断熱高気密というのは一気通貫の流れとも思える。
巨視的な人間の暮らし方変遷という要素も考え合わせると、
150年くらいというのは、ワングリッドで把握することも可能と思えるのですね。
ただ人間のいごこち探究は、基本的に強い同質性があると感じる。
住宅は合目的的に発展してきている、そう強く思われますね。
<写真は伊勢から北海道上富良野移住の人たちの地元神社への奉納帳>

【峠の茶屋 日本人のDNA的旅風景】


きのうの続篇なんですが、どうも道というヤツの歴史は奥深い。
律令政府が成立した奈良朝前後の段階で、中国の「官道」をまねて導入したのが
日本の本格的な「道」の起源ではないかと思います。
まぁもちろん慣用的な道路はあったでしょうが、国家によって整備された道。
国家という概念、租庸調の税を都に送り届けるシステムの基本インフラとして
「まずはこれ」というカタチで整備されたとされる。
それまでの日本、いや、その後の日本でももっとも合理的な物流手段は
海運水運であったことは明らかだと思いますが、
世界標準の律令システムでは「まっすぐな官道」というものが、
基本のキと認識されていたことは疑いがない。
奈良の計画首都建設でも、街区が中国的に碁盤の目に区画されたけれど、
その「大路」が延長していって、日本各地に道が延びていく。
そのことが、中央政権の威令が全国に行き渡ることと同義とされた。
東海道とか南海道、なんとか道という地方呼称概念も「道」が宛てられた。

こうした国土計画がほんの150年ほど前にようやく着手された北海道では
こういう「国家の基本」の記録がスチール写真で残されている。
いちばん遅れたことが、むしろ歴史記録、周辺情報痕跡を明瞭に残す。
道は歩行者やウマに乗った人、租庸調などのモノが往来する。
そうすると、今の時代の「高速パーキング」のような停留所機能が求められる。
人間歩けば必ず疲れて休みたくなる。
時代劇ではまことに馴染み深い「峠の茶屋」がそれに相当する。
峠道なのでどちら方向からも上り勾配を頑張って歩いてきて
いかにも「お疲れさま」という建築デザインが旅人を迎える。
ここではいかにも鄙びた茅葺き屋根で、屋根もいかにも「誘う」ような
微妙な姿カタチで、疲れた心理に語りかけてくれる。
「よくきたな、まぁ一杯寛いでいけや」というセリフが聞こえてくるようだ。
やはり立派な店構えというよりもややくたびれた茶屋建築が「ほどよい」。
元気が良くてチャーミングな茶屋娘が声を掛けてくれるのがウレシイ(笑)。
写真は明治5年の撮影で、函館から出ていまは「大沼トンネル」貫通するのが
国道ルートだけれど、そのトンネル貫通前には迂回する峠道があり、
大沼や駒ヶ岳の眺望が得られたという「無沢峠」の記録写真。
明治14年の明治帝の「北海道行幸」の帰り道ではこの近くに「立ち寄り」された。

これがその「記録プレート」板。
明治帝は函館方面に向かわれた途中で、このあたりに立ち寄られた。
ずっと馬上から駒ヶ岳や大沼小沼を眺望されてきて、
ここが最後のビューポイントとして、振り返り小休止されたものでしょう。
基本的には乗馬で行程を消化されていたそうです。
この明治14年の北海道行幸は開拓使の使命が一区切りつけられた段階での
「天覧」要素の大きな行幸だったようで、ここは最後の旅程・函館にほど近い。
この時代の陸の旅路に思いが募ってきます。

【147年前北海道の道〜前時代「交通」事情】


現代人は飛行機クルマ電車と「移動交通」について過去のどんな人々よりも
その恩恵を極限的に享受し、ほとんど空気のように利用できる。
しかしつい150年前まで日本は国内海運航路以外では、
人間の移動で公共的大量輸送を利用することは出来なかった。
いったん、この大量人員移動という経済の基盤が形成されてしまうと、
その「ありがたさ」を、深く認識することが出来ないと思う。

たまたま最近、作家・高橋克彦さんの小説で奈良時代の東北蝦夷社会と
奈良期の朝廷で特異的に「官人」として出世した蝦夷の人物を描いた作品を
読み進めている。「風の陣〜天命篇」(PHP文芸文庫)
まぁ、ストーリーの本筋自体は「想像力の豊かさ」にやや気後れするばかり(笑)
なんですが、いまの多賀城や周辺地域と、奈良の都、太宰府などとの
移動交通の様子が描かれたりして、面白く読み進めている。
日本の王朝政権も、中国律令国家にならって「道路」を作ったことは
歴史で教えられているけれど、その移動交通がさてどのようであったか、
実際的な視覚的実感はなかなか得られない。
そんなことを考えていて、以前さかんに収集していた幕末から明治初年の
北海道内での記録写真を思い起こして、ピックアップしたのがこれらの写真。
上は室蘭地域での「道路開削」工事状況の様子で
下は函館峠下から遙かに七飯、函館市街方向を見晴らしたビュー。
奈良時代の小説での奈良ー多賀城の距離は、現代の「道路網」〜
高速道路を利用しても840kmなので、まぁふつうに1,000kmはあったでしょう。
国家道路造成と同時に「駅逓制度」として移動手段のウマも整備された。
適当な移動距離毎に「駅逓」が整備され交代のウマ・飼い葉などが用意された。
こういう移動交通手段利用に公的な「通行証」がいわば「切符」になった。
多賀城は「遠の朝廷」であり、王朝政府の直轄支配統治機構。
小説では馴染みの少ない奈良期の政治動乱と王朝組織内での暗闘が
面白おかしく展開されているのですが、この移動交通も非常に面白い。
1,000kmの往復というのは、どう考えても陸路では1ヶ月近くかかり。
1日ウマを利用しても40-50kmがやっとだろうと思う。
<登場人物が両地域で八面六臂で活躍するなど非常に独創的(笑)>
大仏開眼のため奥州からの「産金」がありこの道を利用しただろうことは、
日本史的な画時代的出来事だったことが容易に想像できる。

その時代からは1100年くらい時代が下った北海道の明治ですが、
しかし、基本的には鉄道なども開設されず、もちろんクルマもない時代が
この間1100年は継続。技術革新は陸上交通手段では起こっていない。
一方で道路建設作業で画期的な「技術革新」はあったのだろうか、
不勉強でよくわからないけれど、基本的には人力作業中心だっただろうし、
陸路交通はウマか、ひたすら「歩き」かのどちらか。
たぶん歩いて移動するのは数十キロ程度の「生活範囲」に留まって、
貴人や公用旅客しか、ウマを利用しての移動交通はなかったのではないか。
しかし、その割に写真表現された道路幅はかなりの広さが確保されている。
想像を飛躍させると、奈良期から明治初年までこのような道路事情の中を、
わたしたちの先人は「移動交通」していた認識を持てる。
こういう環境の中、江戸期には各地「お宮参り」全国旅行ブームでもあった。
マジマジと、こういう実感に魅入っている次第であります。

【自然災害の大型化深刻化趨勢】

昨年首都圏を直撃した大型台風のことが恐怖を呼んでいましたが、
あのときは首都圏地域自体では、八ッ場ダムなどのおかげで巨大被害は
そうアナウンスはされなかった。むしろ周辺地域の河川氾濫が長引いた。
アメリカからも、宇宙からの写真を見て日本のことを気遣う情報発信も見られた。
年々、自然災害の大型化、凶暴化が日本を襲うようになって来た。

で、ことしの台風10号。
予想進路を見ていると、ことしは朝鮮半島方面に向かうコースが多い。
上空の偏西風が蛇行していて、日本列島直撃型のコースは取られていないのか。
情報では日本近海の「海水温」上昇が顕著で、またその海水域が
これまでと相当に変異しているので、そのことと大型化と
進路コースの変化というものが関係しているのだろうか。
日本列島に近づくにつれて、情報が切迫したモノに変わってきている。
風速80mという過去に聞いたことのないレベルの風と、雨量が予報されている。
いまのところ北海道はコースに掛かるという情報はないようですが、
ニュースやWEB報道でまさに緊迫感が伝わってきて、
まことに不安で気がかりな時間を過ごしております。

昨年くらいから、きわめて顕著になってきた「大型化・凶暴化」に対して
日本人はいったいどのように「対応心理」を更新していかなければならないか。
冬の気候もやや短期間化はしてきているように思うけれど、
夏期の気候変動ぶりは、かなり強烈で急ピッチであるように感じる。
とくに住宅建築に関わる部分では耐候性という面が強化されていく必要がある。
寒さへの対応力の強化と、同時に暑さ、酷暑気候から人間を守ること。
そして、このような巨大台風への備えとして、
防風性、水害への対応力の柔軟さなど、考えていかなければならないポイントは多い。
それにしても、今日以降の数日間、台風10号の情報からは
決して耳目を離すことはできないと思います。
進路に当たる地域のみなさん、くれぐれも安全確保を祈ります。

【人類の「色」認識の不思議】

わたしたちは現代社会に生きているので、色というものについて、
科学的な知識とかが刷り込まれてきているけれど、
実は人類史的にはつい最近まで、このような色彩についての
客観的・科学的分析情報は普遍的ではなかった。
とくに、写真のような「青」空と、植物の「緑」については
その違いを大きくは認めないという「常識」が存在していたとされる。
現代にまで残るその人間社会での文化残滓を求めるとすると、
「青信号」というコトバが思い出される。
一般的に色表記としては「緑」である交通信号の色に対して、ごく普通に
「青」という表現を使い、それがコミュニケーションとして成立している。
「緑」信号というようには普通誰もそれを呼称しない。
で、もっとも注意を喚起する色彩は、断然・絶対、赤であることもオモシロい。
人間のカラダを傷つければ赤い血が流れることが恐怖と刷り込まれている。
学校教育でもテストで悪い点を取ると「赤点」。オソロシイ(笑)。
考えてみたら、かなりおかしいけれど、おかしいとは誰も言い出さない。
これってかなり不思議なことではないだろうか。

民族文化としても色についての感受性には大きな違いがあるとされる。
赤とか黄色とかは色として認識されているけれど、
青・緑はそれを色と認定する文化が欠落する民族があるそうです。
空とか海とか、植物とかであまりに普遍的に日常的であって
その色彩を特定認識する習慣が生まれなかったということなのか。
まさか、民族集団として集団的色盲であったということはあり得ない。
やはりこれは「文化」の領域での問題であるのでしょう。
そもそも「色」というのは、人間にとって「特殊」な心理を呼び覚ますことが
その「要件」であって、めずらしきものという認識が優勢だった。
日本でも、赤については特殊な、霊的な意味合いを強く感じさせられる。
白もそうであるのかも知れない。
白い動物に対して、そこに「神性」を感じる人間心理は強く存在する。
突然変異で発生するこうした色の不思議さは、
ながい人間と自然の共存体験のなかで培われてきたものと思われる。
自然界に存在はしているけれど、赤についても白についても
面的な独占という存在の仕方はあまり見聞きしない。
日本で最初の都市、奈良の都では宗教建築に赤が使われ、
きわめて象徴的なインパクトをひとに与える色として認識されてきたことが自明。
全国に数多く勧請された「稲荷神社」の朱塗り鳥居の連続デザインは
欧米の人々のハートにも深くインパクトを与え、京都一番の観光地といわれる。
やはり人類にとって、赤は霊を激しく揺さぶる特別な原初的な色だったのだと思う。
日の丸という日本の国旗は、明瞭にこれをあらわしているのかも。

この気付きから、人間社会常識の不思議さに
深く興味を抱くようになっている。奥行きの深いテーマだなぁと。・・・

【換気はメンテナンスが生命線。こまめな掃除を】

さて、8月19日日本建築学会発表の広報拡散第3回・最終回。
住宅における換気によるウイルス感染対策について
〜一般社団法人 日本建築学会 換気・通風による感染対策WG〜の情報発信。
(リンク先からpdfデータがダウンロード可能。詳細はこちらで確認ください)

わたしのブログでは、Replan誌面では紹介しきれないタイムリーな内容とか、
住宅ネタでも「深掘り」すべき内容などを扱ってきておりますが、
専門的な内容をわかりやすく伝えるのも役割かと思っています。
で、学会が発表した内容に即して2回掲載してきたのですが、
新型コロナ禍で「換気の悪い密集空間」というアナウンスが繰り返されたことで
ひとつの効果として「換気」が一般に大きく注目を集めているし、
今後の住宅建築に当たって、ユーザーの興味関心も高いだろうと思われます。
いわゆる「おウチ時間」の安全安心の大きな要素が換気だという気付き。
北海道では断熱気密のレベルが進化して行くにつれて、
室内空気環境の重要ファクターとして長く認識されてきている。
「断熱・気密・暖房・換気」として、住宅性能要件の4要素とされるのですね。
ただ、どうしても「可視化」しにくいテーマなので、機械の選択、
1種か3種かということに極小化されて認識されてきているとも思います。
今回のコロナ禍では、目には見えにくいこの換気がかなり「可視化」されてきた。
きのうも書いたけれど、電車車内で空調と同時に窓が少し開けられて
「暖冷房と換気」のバランスが、体験的にも多くの人に把握可能になった。
こうした集団的経験知はかなり大きなものとして、刷り込まれていく予感。

なんですが、やはりというかズバリというか(笑)、日本建築学会の発表資料でも、
「こまめなメンテ、お掃除」の重要性について触れられています。
というか、そもそもせっかく設備しているのに「スイッチを切って運転していない」
っていうオイオイの事例も多いのが実態ではあります(笑)が・・・。以下要旨。
〜給気口は汚れていると換気量が減少するので清掃を心掛けましょう。
また、給気口は外気に対して吸込み側となるため、外部に防虫用の網が
設置されている場合もあります。フィルター同様に防虫網を清掃しましょう。
第1種換気方式の場合は、壁内や天井裏などに設置の全熱交換器本体や
周辺のダクト経路に設置されるフィルターボックス内など、フィルター
が複数設置されています。ダクトの屋外フードに防虫網が設置されている
場合もあります。第1種換気方式にもフィルターがあります。清掃しにくい箇所
にフィルターや防虫網がありますが、しっかり清掃しましょう。〜抜粋以上。
そうなんです、寒冷地北海道でもせっかく立派な「機械換気」装置は導入しても、
これを「宝の持ち腐れ」にしないためには、ユーザーのメンテが最重要。
24時間連続運転が換気装置の基本ですが、
目に見えない空気の「動き」をコントロールするためには、
普段からの機器メンテナンスが不可欠なのです。
・・・って、恥ずかしながらわが家でもついつい、掃除を忘れていることがある(泣)。
壁天井などの中に仕舞い込まれる「ダクト配管」内部まではユーザー掃除は
難しいと思うのですが、少なくとも手で触れられる写真のような端部では
ぜひこまめな清掃、掃除。メンテを心がけたいものだと思います。
北海道ではこのメンテ問題のため機器を室内露出させているケースも多い。
毎日見ていれば、おのずとメンテするようになるだろうという、親心(?)。
いろいろな粉塵であるとかで給排気口周辺には常時ストレスが掛かっている。
最低年に1度以上はしっかりと機器を観察して、汚れを除去したい。
先般もわが家の局所換気の排気口のファンの羽根部分を見てゾッとした経験。
たしか設置から2年半ほど放置していたら、ホコリが黒々と・・・。
家への愛着は、こういう「手を掛ける」ことも大きく関係している。
愛情を持って、日々心がけて行きたいモノだと思います。(キッパリ反省)

【新型コロナ感染の家族・在宅隔離の換気対策】


さて、きのうの続きであります。
8月19日日本建築学会発表からの広報拡散です。
住宅における換気によるウイルス感染対策について
〜一般社団法人 日本建築学会 換気・通風による感染対策WG〜の情報発信。
(リンク先からpdfデータがダウンロード可能。詳細はこちらで確認ください)
きのうは緊急的・実戦的と思われる「機械換気のない住宅での対策」でした。
エアコンを利用して気温を低下させながら適度の「窓開け」換気を確保することで、
コロナ感染症と熱中症に対応する作戦。
東京都内や関西圏などの公共交通機関では電車車両でエアコンを効かせながら
同時に窓をほんの少し開いて換気対策していますが、アナロジーとして同様。
イメージとしてはあの比率程度の窓開けとエアコンの利用で
コロナ対策と熱中症対策が同時にクリア可能とされている。

で、本日はもっと状況がキビシくなって、家族が感染した場合の対応策を紹介。
一般的には借り上げホテルなどで「隔離」されるケースが多いと思いますが、
やはり住宅建築、とくに計画時には万一の対応は考えておかなくてはならない。
期間的には寛解に要する時間は個人差もあるけれど、おおむね2−3週間といわれる。
家庭で療養する感染者は無症状や軽症が多いと予測されます。
まずは、感染した家族は個室に「隔離」する必要がある。
適切な「ウィルス管理」、相互距離確保で注意しながらの暮らしが肝要。
こうした場合「トイレ」が複数確保できているかどうかが、まずは重要ポイント。
既存住宅の場合、このポイントがどうかによって対応が変わってくる。
隔離とは言っても感染者にもトイレ利用は絶対必要。
家の中でトイレが複数ある場合は、感染者専用のトイレと非感染家族分とに分ける。
上の図はこうした対策での家のなかの「ゾーン仕分け」の考え方。
トイレが感染者専用を確保できて、なお動線的にも仕分けする、というのが
基本的な対応方法と言えるでしょう。
感染者個室と専用トイレとの距離、動線の仕分けが可能かどうかがポイント。
その上で「動線配置」をよく考えて、感染ゾーンと非感染ゾーンを仕分けること。
仕分けのための「仕切り」はビニールなどでのDIYが有効です。

そして換気で大切なのは、給排気で「排気」側に感染者個室を位置させることです。
2003年7月に建築基準法が改正され、シックハウス防止対策として住宅の居室には
換気回数0.5回/h以上の設備容量を持つ換気設備設置が義務付けられています。
現在で築後17年程度の住宅では基本的に装備されている「ハズ」。
(北海道など寒冷地住宅では換気は基本要素なのでそれ以前から相当普及。)
一般的な3種換気住宅の場合、おおむね各室に「給気口」が装置されているので、
その「開口」を利用して、局所排気ファンを追加で上履き的に装置させることで、
感染者家族の隔離室を「陰圧」に維持することができます。

この隔離室が家の中で「風下」として換気的な位置付けになるということ。
上の写真は、その設置方法を写真説明的に紹介しているもの。
そのように隔離室の環境をしっかり確保することが基本対策。

新型コロナは、最近の傾向として重症化率がやや低減化していますが、
情報では対症療法的な部分で経験値がかなり蓄積されてきているとされる。
熱中症の方が死者数ははるかに大きく上回っているのが現状。
迷惑なウィルスですが、簡単には消え去ってくれない以上、冷静に賢く対処することが
きわめて大切なことではないかと思います。
家での万一の場合の対応まで考えることで、注意深い暮らし方が身についていく。
そう考えて「新しい暮らし方常識」を身に付けていきたいですね。

【新型コロナ・熱中症対策も考慮の「自然」換気方法】

札幌は朝などは、もう長袖ジャンパーが必要で15-6度くらいにまで気温低下。
しかし本州地域ではまだまだキビシイ暑さが続いていると思います。
まことに残暑お見舞い申し上げます。
そういうなかですが、新型コロナは要警戒で重症者比率は下がっているけれど、
「あらたな日常」ということでマスクを欠かせない暮らし。
35度にもなる気温の中でのマスクはやはり熱中症リスクとも重なる。
わたしなども長時間マスクをしていると、少しくらっとすることがある。
そのように気付いたときには、ムリせずすぐに冷たい飲み物を補給するなり
リフレッシュすることが絶対に必要ですね。
長時間マスクを掛け続けて暑い気温のなかにいると、
無意識のうちに自分をリスクに追い込んでいると思います。
このブログでは日本建築学会などの公式的研究発表を逐次お伝えしてきましたが、
8月19日「住宅における換気によるウイルス感染対策について」の情報発信。
(リンク先からpdfデータがダウンロードできます)
〜一般社団法人 日本建築学会 換気・通風による感染対策WG
執筆 東京電機大学 鳥海吉弘 東京工芸大学 山本佳嗣
監修 東北大学 吉野 博 東京理科大学 倉渕 隆〜
このなかではエアロゾル、空気感染危険性が可能性として払拭できない中、
効果的な住宅の換気計画についてまとめられています。
本日はその情報発信のなかから蒸暑地・温暖地などで一般的な住宅、
機械換気ではない「自然換気」住宅での対応方法をご紹介します。
そのなかでもこの時期とくに重要と思われる表題のような
「熱中症対策(夏)過乾燥(冬)も考慮した換気の方法」。以下その部分抜粋。

●室温28度以下を確保し窓を5〜15cm常時開放を●
〜熱中症予防のためには、室内では扇風機やエアコンを使って、
室温を適切に調節することや室温をこまめに確認することが重要となります。
しかしながら、ルームエアコンは一部の機種を除いて換気の機能は付いていません。
空気を外気と混合せずに室内空気をフィルター経由で熱交換して再循環させます。
従って、新型コロナウイルス感染症の予防のため、
機械換気設備が設置されていない場合には、
<窓を開けて自然換気を連続的に行う>必要があります。
ただし、窓を大きく開けて自然換気を行うと、室内での冷房効率が低下して
室温が上昇する危険性があります。熱中症予防のための判断は、
室内の暑さ指数(WBGT:湿球⿊球温度)により行うことが好ましいのですが目安として
<室温28度・相対湿度75%、室温30度・相対湿度65%>が
「厳重警戒域」の境界に相当します。
具体的には室温が28度以下を確保できる範囲で居室の窓を5cmから15cm程度を
目安に2箇所(居室に窓が複数ない場合は居室のドアを開放)、
防犯に配慮して常時開放することが望ましいといえます。
蒸暑期は冷房を効果的に利用しましょう。
冬期の暖房時についても換気設備がない場合は、室温が18度以上を
確保できる範囲で窓を開けて換気をすることが必要です。
また、冬期は室内が乾燥し過ぎることがないよう、
相対湿度40%を下回らないように加湿器などを利用して調節しましょう。
エアコンについては、フィルターではコロナウイルスは除去できないため、
エアコンの直接気流が人に当たらないよう調整しましょう。〜抜粋以上。

最近は住宅建築計画で「換気」のユーザー認識がかなり高まっているとされます。
しかし本州地域の既存住宅では機械換気設備はあまり普及していない。
そういう住宅内で、換気による新型コロナ対策はきわめて重要。
適切な換気を心がけることで、熱中症とコロナ対策を万全にしたいですね。