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【明治帝と近代国家建設 象徴としての北海道】


<明治天皇山鼻屯田通輦図>

<明治天皇北海道上陸から札幌行程図>

北海道は開拓から150年ほどと、もっとも新たに国家に組み込まれた。
それまでの日本歴史での最北の地・東北は「まつろわぬ」人々の地として
「土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」という意識から不幸な歴史時間を持った。
東アジアの「国家」意識にとって「中華」思想は抜けがたい基本思想であり
征夷ということが自らの存在意義であるという潜在意識があったのだと思う。
中央集権的なヤマト朝廷体制が列島社会に伸長していくためには
外敵の存在が必要でありそうした歴史営為の結果、国家が成立したともいえる。
そのような「征夷」概念の延長線で、武家による政権も成立し、
アジアとしては奇跡的で純粋な「封建社会」も実現した。
・・・そういう国家意識からさらにそれを再度、高める必要があったのが、
幕末明治の歴史時代だったのだといえる。
そのときもっとも喫緊な地域と認定されたのが、対ロシアの防衛ラインとしての
北海道の地。東北地域とはまったく違うカタチで日本史最前線に登場した。
このようなことは日本国家の中央集権化「統一」時期以来のことであり、
開国・近代国家建設が国家政治での中核的関心事になった。
その歴史時期にあたって青年天皇・明治帝は優れた素質を持たれていたと思う。
伝統的な京都御所の御簾のなかに神秘的に存在する天皇から
近代国家建設の象徴としての君主像にふさわしい行動的資質であった。
薩摩藩の政治指導者・大久保利通が、幕末にこの若き君主を行幸として
はじめて大阪湾での海軍艦艇閲兵に連れ出したときその目の輝きを見て
「この君なれば・・・」と万感のよろこびを感じたとされる。
その大久保の感慨の意味合いは、こういう政治目的だっただろうことはあきらか。
国家建設に行動する君主像を民に刷り込んでいくことが、近代日本の基礎。
・・・そしてシンボル化した北海道の国土経営開拓の明治帝による視察とは
明治の政権にとって重要なターニングポイントだったと思う。

<お召し列車「開拓使号>

時限的に設立された「中央省庁」開拓使のその最終期にあたって、
炭坑の発見経営に乗り出しており、同時に活発な殖産興業政策で
札幌では数多くの官営工場が稼働してきていた。
近代国家建設にとって、まことに中核的な事業の推進だった。
この明治帝の「巡幸」にあたって、青森から船で小樽・手宮に上陸され
このためにわざわざアメリカに発注した「お召し列車」を、開通なった鉄道に走らせ
明治帝を開拓の首府・札幌にお迎えした。
たぶんお召し列車はこのような風景の中を走って天覧に供したのだろう。
新橋-横浜路線とはまったく違う、国家意志による大自然を克服しての鉄路。
そして上の絵「明治天皇山鼻屯田通輦図(1881年)」のように藻岩山の麓、
札幌の開拓の様子を馬上からご覧いただいた。
明治帝にとっても死後、北海道神宮に神体として祀られたことが不自然でないほど
この地のことを深く思われたことは間違いがないだろうと思われます。
日本と北海道とは、たぶんこのような出会いと歴史経緯だったように思える。
坂の上の雲を追った時代が確実に存在したのだ。

【少女作品:路上アートに魅せられて】


毎朝の散歩道、札幌のイマドキは12-3度程度の日も増えてきます。
昨日などすっかり肌寒いほどの気温低下ぶり。
しかし、高齢のみなさんを中心に、そのお孫さんとおぼしき年代も
毎朝、北海道神宮前でお掃除ボランティア、ラジオ体操と元気な姿が見られる。
そういうけなげでかわいい様子にすっかりゾッコンのわたしであります。

で、いつもの散歩道にはドングリなどの落果が目立つようになって来た。
また、それを狙ってたくさんのリスたちがあちこちで俊敏にうごめいている。
ヘタをすると足蹴にしてしまうかもしれないほどにたくさん見かけます。
そんなふうに足下に注意を払いながら歩いているとふと写真のような光景。
「おっとっと・・・」と蹴飛ばさないように咄嗟に道を横に取っておりました。
わたしの散歩目的は運動量確保なので一定速度が習慣づいている。
で、なにげに通り過ぎてから、その光景の残像が目に焼き付いて離れない。
20-30mほど過ぎてからやはり気になって引き返してみた次第。
即座に「これはだれかが表現したものではないか」という判断があった。
そうですね、小さい子どもたちにとって落果の季節はそのオドロキから
それを拾い集めるのが一般的・人類初源的反応パターン。
たぶんネイティブに近い人間精神の発露なのではないかと思います。
で、それは「アート」の起源に近い行為であるに違いない。
戻ってみて、その「作品」を謹んで写真に撮影させてもらった。
基本の構図はドングリで表現されているけれど、
なんだかよくわからない堅果類が左側に流れるように配置されている。
ドングリたちはどうも「流動線」を意識したような配置のされ方をしている。
堅果類を囲むようにも配置されている。
そして、右手側には可憐な白い花々が添えられているではありませんか(!)。
見た感じではハート型を意図したようにも受け取れる。
この全体の配置バランスは、なかなか惹き付けられる(笑)。
白い花と茎の緑が、ドングリ・堅果の色と対比的でお互いを引き立ててもいる。
この「表現」の仕方にはなぜか強く「女性的感受性」も感じさせられた。
「おお、いいじゃんこれ」であります(笑)。

ちょっと立ち去りがたい思いもあったけれど、後ろ髪を引かれながら離れた。
想像すれば、たぶんいたいけな少女がドングリの姿カタチに魅せられて
それを夢中で集めて、堅果もついでに発見ゲットした。
で、その感動のままに道路をキャンバスにして配置する原初アートに取り組んだ。
「こうしたらカタチがオモシロいかなぁ・・・」と考えながら。
で一応の構図が固まったけれど、そこにふと視線の先に白い可憐な野花があった。
ドングリとその白い花のコントラストが彼女の表現意欲を刺激した。
夢中で花を摘み、「どこに置こうかなぁ・・・」
というプロセスで、このアートは完成を見たのではないか。
この表現に向けた素材収集・配置での構想持続力はまさにアートパワー。
わたしは朝7時前くらいにそこを通りかかったので、たぶん制作はその前日日中。
少女はたぶん完成を見届けた後、お母さんに呼ばれて現場を去ったに違いない。
それから約半日以上、ここを歩いた人たちはこれを目にしただろうけれど、
わたしと同様に、注意深くこの作品をリスペクトして残置させた。
誰も足蹴にすることなく、作品は一定数の人々に鑑賞の機会を与えたに違いない。
そんな風に考えると、朝から「いいものを見た」気分に浸ることが出来た。
さすがに翌日朝には跡形なく作品は姿を消していたけれど、
見知らぬ少女と楽しく対話できたようなうれしさがこみ上げてくる。
作者が大きくなってからもしもこの写真を発見したら、という想像も楽しい(笑)。

【至急報:Replan「なりすましメール」にご注意】

本日2度目の情報アップです。
実は昨日9月24日にたいへん不審なメールがわたし宛に
わたしの名前を騙って送られてきました。
写真(ウィルスっぽく彩色しました)の通りの内容で、
添付のwordデータを開かせようとするものでした。
で、さっそくITスタッフで情報を精査して、
ウィルスメールであると突き止めました。
マルウェア「Emotet」である可能性が高い状況です。
詳細は、弊社WEBページで内容を開示しましたのでぜひ確認ください。

Replanスタッフを装った「なりすましメール」にご注意ください。

わたしどもに関係するみなさんに
このようなメールが送られている可能性がありますので、
注意喚起の意味で、情報を公開させていただきます。〜以上。

【北海道ところ遺跡 1000年以上前の家・続篇】


先日発表した北海道の「擦文」期の大型住居続篇。
このオホーツク圏の常呂の古代住居遺跡群は2000軒ほどとされる。
もちろんそれは数百年にわたって人々が住み続けてきたということで、
一時に都市集住のように多人数が住んでいたということではない。
数百年間、2000家族が違う家を建てながら住み暮らしていたということ。
たぶん数十戸程度の集落単位で暮らし続けていたのでしょう。
世代更新を20年、住居の耐用年数を20年と考えれば500-600年程度でしょうか。
そういう定住が可能なほど、この地は食料獲得に適していたのでしょう。
古代の人々の生活風習文化として、家とその住まい手家族は一体として存在し、
その住人が死ねば家も焼いてともに「送る」習俗だったとされる。
子どもは結婚とともに新居を建てて移り住んだ。
家を「継承する」という概念はかれら社会にはなかったという説が強い。
本州以南の日本社会では生産手段としての田や土地の所有概念が強く
その管理のための住宅を当然のように継承する文化があるけれど、
北海道に住み暮らしていた先住の人々にそういう痕跡はうかがい知れない。
基本的に自然共生の暮らしがあって、財・タカラについての観念は大きく違った。
とはいえ一方で「交易」という概念は非常に強く持っていて、
たとえばこの時期のオホーツク文化で獲得される狩猟産物、鷹の羽根とか
アザラシの獣皮などが奈良平安期の貴族たちに珍重され入手を競ったとされる。
それはオホーツク文化の人々から直接ではなく、擦文の人々を経由した交易。
直接交易を考えたオホーツクの人々は日本社会に接近し道南の奥尻島まで進出。
結果、北海道西部の擦文社会と緊張状態となりかれらと友好的なヤマト社会からの
北征軍事集団としての阿倍比羅夫の遠征出征を招来し、
奥尻島でヤマト軍に敗退させられた痕跡が残っているとされる。最新の研究。
そういう「タカラ」と交易への執着はあるけれど、あくまで狩猟採集が基本であり
日本農耕社会のように生産手段などに対しての固執をみせることはない。
生きることとはもっと属人的なことで自然の意思と個人能力が根源と考えていたか。
いずれにせよ相続継承という観念は薄い社会であったように思われます。

さて、かれらの復元大型住居であります。
常呂には東大の遺跡研究探査機関があり、この復元住居には
その研究成果が反映されているとされています。
上写真は、常呂町広報誌に掲載された遺跡施設からの情報提供より。
この建物は定期的にメンテナンス作業も行われているということ。
自然素材の非定住住宅は囲炉裏火による燻煙も期待できないので
屋根の萱の更新とか、いろいろ維持が大変の様子。
しかも復元住居なので、どうしても現代の建築技術工具に頼れない。
萱の更新ひとつ取っても、現代の北海道で技術伝承があるとは思えません。
そういう労苦の積層された復元住居ですが、この住居は素晴らしい。
かまどが2つあるという大型住居。この時代かまどは属人的で主が決まっていて
他者がそれを使うことは禁忌とされていたそうです。
だから、この住居は単独世帯ではなく、多世帯同居住宅だった可能性。
梁行も豪快で見た感じでは10mくらいの長大さ。
東大の調査からの復元で、根拠の確かな寸法なのでしょうから
この遺跡全体から見ても、相当の「高級住宅」であった可能性が高い。
囲炉裏周辺の土間の広大さ、室内空間の豪快さに息をのむようであります。
想像では「族長」的な存在の住居痕跡とも思われます。
あんまりステキなので、ちょっと住んでみたくなりますね(笑)。

【久しぶりのにぎり寿司 ルンルン】


料理大好き人間の私ですが、しばらく「にぎり寿司」をやっていなかった。
一昨日、娘が顔を出してくれたので食べさせたくて握りはじめた。
しばらくぶり、たぶん今年になって初めてくらいなので、
寿司飯を炊く段階から「あれ、どうだったっけ」とコツを思い出さない。
ネタは、ツブ・タコ・ホタテ・サーモン・マグロという5種類であります。
どうしてもネタを大きく捌きたいのが男の料理なんですが、
娘から「でかっ!」とすべて却下され、にぎりもネタも自分の感覚の約半分程度に。
でもこれがなんともちょうどいい(笑)。
そういえばおとこの料理の先達から、小さく握るのがコツ、と言われる。
だいたい男って、大きいことはいいことだと考えているので、
女性目線からは絶対に大きすぎるモノなのでしょう。

しばらく感覚が戻らなかったのをいいことに、
自分としては「これはちょっと小さいだろう」気味に思えるくらいで
淡々と握り続けておりました。
ネタの方でサーモン・マグロ・タコは最初に切っておいたので、
いまさら薄目、小さめという変更は成しがたい。
やむなく、ネタが大きく握りの方はごく小さめという仕上がり。
ツブとホタテはやや小ぶりに切り直しもできた。
とくにツブはコリコリとした舌ざわりで、小さくてもほどよい口当たり。
で、出来上がって娘とカミさんが食べた後、
ようやく私の食べられる時間になって、頬張ってみたら、これがいい。
握りが小さいのは、老若男女、イマドキには似合っていると思った。
箸の合間には、鶏肉たっぷりの筑前煮込みがなかなか合っておりました。

さて、先日の拙ブログで「プロレス」を揶揄したと取られかねない表現を使いました。
マスコミと政権の関係についての比喩表現だったのですが、
ある読者の方から、「プロレスへの誹謗」というように聞こえて悲しいという声。
これは書いた人間として、まことに胸に堪えた声で反省しておりました。
責任を感じましたので、プロレスを想像させる当該箇所・表現について
全体を再構成して修正を施しました。謹んでお知らせいたします。
その後、論旨をシンプルにしたこの投稿、現在アクセスが急増しております。・・・

【政権支持率と偏向的報道のマスコミ】

連休中ということで本日は政治ネタです、悪しからず・・・。

9/18付発表の日経新聞世論調査での菅内閣支持率が、74%とか。
これでは政権選択選挙、野党は勝負になるとは思われない・・・。
政治の世界にもっとも大きく影響関与してきた存在は新聞社マスコミ。
報道は常に政治権力の仔細を伝えることで存在価値を持っていたと言える。
とはいえ関与の仕方はプレーヤーではなく、あくまで第3者的存在。
もちろんそれぞれの政治的スタンスもあるだろうけれど、
判断や報道姿勢では一応「事実に基づく」のが基本的建前だった。
その基本がどうも最近非常にあやしくなってきてしまっている。
安倍前首相の退陣表明を受け、それまでの政権支持率が軒並み20%超アップした。
この前例のない驚異的な国民反応はまだ十分に分析されていない。けれど、
日本人的メンタリティーとは隔絶した辞任会見でのマスコミ各社記者たちの
理性的とは思えない「安倍ガー」詰問ぶりを見て、多くの国民が
「こうした記者と7年8ヶ月怒りもせず対してきたのか・・・」と素朴な正義感で同情し
なお紳士的に対応した安倍前首相に対し「見直した」気分が一気に高まった。
新型コロナ禍対応でも、世界的に高評価の「国民保護」結果事実にも目覚めて
いわば「覚醒」的に政権支持率急回復としか分析できないのではないか。
朝日の世論調査ですら安倍政権を71%が実績評価と朝日にとって無惨な結果。
国民の菅新政権への期待値とは、この安倍政権への評価が強く裏打ちしている。
露呈したのは、第3者的であるべきマスコミ自身が逸脱気味である実態。
中立とはとても言えないマスコミに政治の世界で大いに助けられている
野党議員さんたちの残念さ、低レベル化も目を覆うばかりのことが続いている。
ややキレ気味の女性議員の安倍さんの難病への驚くほどの人権無視発言。
もと大阪維新の橋下氏とテレビ番組で同席の立憲議員は
「生い立ちにはその人間のすべてが表れる」と公然と人権侵害的発言を浴びせ
その「出自」について首相に「国会で質問する」と宣言したという。
1日経過し「言葉遣い」だけは謝罪したけれど、今度は立憲幹事長がそれを擁護。
そしてきのうは「デジタル化は時代遅れ、自然エネで」(?)と党首発言とか・・・。
意味不明だったのでよく記事を読んだが、デジタル化は世界に追いつくだけで
追い越せないという趣旨のようだけれど、手段を敵視してどうするだろう。
デジタル政策化志向の菅政権に対し、批判のための批判のような攻撃。
今日の世界で、ホントにデジタル化に反対する気なのだろうか?

どうも政治ではマスコミの偏向報道は、野党の資質を劣化させるのではないか。
健全な批判精神は大いに結構だが手法は理性的論理的であってほしい。
日本の政治を劣化・堕落させていいとは思わない。残念。

【ネームサーバードメイン HICHINA.COM詐欺メール】

メールという手段にはどうしても「迷惑メール」が避けられない。
世界に対して開かれたインターネットの基本として自分のメールアドレスが
流通して情報蓄積されることは、避けようがないし、
それによって得られる利便性との見合いでは、やむを得ない弊害ともいえる。
コミュニケーションツールとしていまや有効性にも疑問が出ているけれど、
さりとてそれ以外のたとえば電話なども、疎遠な関係であれば
知り合うきっかけづくりとして利用することはなかなか難しい。
またSNSなどはそれぞれで一長一短があってビジネスコミュニケーションとして
どうしても使いにくい面があるのは事実だろうと思います。
そんなことで、やはりメールが果たせる機能はまだまだ大きいモノがある。
しかし世に詐欺の芽は絶えることはないのでしょう。
いわゆる「フィッシングメール」というヤツは衰えることがない。
出たての頃は、これなに? とやや驚かされたりもしたけれど、
最近はそういう「免疫」も獲得できてきたせいか、
「あ、これはいかにも、だなぁ」と即座にゴミ箱に直行させる。
そうは言っても、奴らもいろいろ手を変え品を変えて詐欺手法を編み出す。

最近は、例のdokomoの事件があって、カードや銀行口座などで
もしや不正なアクセスがあるかもという心理が広がっているので、
そこを狙う詐欺手法も現れてきているようだ。
写真は1昨日に受信したメールであります。<長いので横2段表示に画像処理>
「三井住友カード<重要>」というタイトルのメールであります。
このメールのように、インフラに近いような銀行などの名をかたる手法。
一応、万が一を考えてメールの素性を調査してみた。
当社の情報システム担当に、内容を確認したところ以下のような「調査結果」。

〜(記載されている)リンク先が  →VpassID情報照会・変更
sumitomo-mitsui-banking-corporation.muliaotuan.com
●muliaotuan.com のドメイン情報が
Name: MULIAOTUAN.COM
Nameservers:
DNS13.HICHINA.COM
DNS14.HICHINA.COMDates
●ネームサーバーのドメインが  HICHINA.COM
・・・っていうことで、中国の詐欺グループですかね? 〜以上、調査報告。

まぁ詐欺犯罪には国境はなく、どこにでも多く存在するでしょうが、
やはり人口規模最大の国には、マフィアの類も超絶規模で存在するのでしょう。
これまでも中国系のこの手の詐欺メールは非常に多かったのですが、
奴らはたぶん、欧米社会から強烈に締め出されつつあり、勢い
スパイ防止法も整備されていない無防備な先進国家社会として日本に
毒牙をよりいっそう激しく向けてくる趨勢にあると思います。
みなさんへの注意喚起・情報共有として内容を公開することにしました。
政治や報道の世界での「侵略活動」ともども、注意しておかなければなりませんね。

【7-13世紀「擦文」期北海道住宅インテリア空間】


私のブログで大きな領域は「古民家探訪」シリーズ。
通常発行する住宅雑誌ReplanやReplanWEBマガジンでは現代建てられる
リアルタイムの住環境を考えていくのが基本。
それに対して最古参の「住宅ルポライター」としては住環境の根源を
このような古民家いや、遺跡住居などに見出していくのがテーマになる。
少し探究的なブログ表現記事にはふさわしいと考えています。
写真は、北海道のオホーツク圏常呂町にある「ところ遺跡の森」の
擦文時代の復元住居の様子。大体、飛鳥時代から鎌倉時代に相当。
擦文というのは、縄文に対比するような語感ですが、
本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする生活文化様式。
このオホーツク圏は北東アジアから南下したオホーツク文化人という民が
大型海獣漁に特化した独自の生活スタイルでこの地域に定住し、
それ以前から先住の擦文の人々と緊張があったりしつつ共存していた。
やがて両者は融合していって、アイヌ期が開始するという前段的時代。
住文化でいうと、アイヌ期には「竪穴」が放棄されて平地住宅である
アイヌチセに変化していくのですが、この家では入口から段差を下がって
住宅床面が造作される竪穴。こういう場合、雨水侵入が危惧されますが、
比較的に高台立地というケースが多いように見られます。
復元住居では排水溝などはあまり記憶がない。たぶん竪穴を掘った
土を周囲に盛り上げて、雨水浸入を防いだものと想像できます。
で、炊事用のかまどが出入り口近くに装置され「煙道」も粘土で造作している。
かまどの造作に使った粘土を連続して煙道としたものかと。
蓄熱性も期待できるかまどは、冬期の入口からの冷気浸入に対応したか。
で、住居中央には暖房と採光のための囲炉裏がいのちの装置として端座する。

囲炉裏周囲はやや突き固められた、文字通りの「土間」。
この土間面にはたぶん、ムシロ状の編み上げ敷き物が敷かれていただろう。
囲炉裏の四面縁取りには太い木材が渡されている。
これも食卓テーブル的使い方として通常使用されたに違いない。
古民家などで取材すると、そのような生活実態が容易に類推される。
で、囲炉裏を囲むように丸太材で支えた「床」が外周側に装置されている。
1日の労働で疲れきったカラダをこの床面をベッドにして休んだのだろう。
その外周には竪穴の掘り込み高さに合わせた「土留め」木材が立てられている。
ノコギリのような板加工道具はなかっただろうけれど、
いわゆる「割板」加工でこのような板材を入手、利用していた。
で、そうした割板の加工面は、寝に落ちるまで素朴な面材模様をひとに見せる。
さらにその土止め板の上には屋根の構造材と萱が質朴な風合いを見せていた。
囲炉裏の赤々とした採光によってまるで人肌のような風合いに見える。
すべてが「自然素材」そのものであり、緊張よりもやすらぎを与えてくる。
竪穴の深さは比較的に浅めに感じられるけれど、1mほどか。
凍結深度という概念はかれらは体感的にわかっていたに違いない。
それ以下であればおおむね年平均気温の地面蓄熱温度が維持される。
この地ではたぶんベース的な気温で10度くらいまではあっただろうか。
それに囲炉裏やかまどからの輻射熱が加えられる熱環境。

視覚的インテリア環境と、温熱的な環境の両方から
この地でのくらしをこの住居は千数百年前に人々に提供していた。
「いごこちはいかが?」と問いかけたら、子どもたちの歓声が還って来そうだ。

【連休利用のクルマ整備DIY:サビ落とし】



きのうはカミさんと近場に繰り出しておりましたが、
各所で混雑に遭遇。久しぶりの「にぎわい」を体感していました。
ことしは新型コロナ禍で「夏休み」らしい期間がなくようやく一段落気分なのか
いわゆる「感染者」も減少傾向で重症者も低減傾向ということで
夏を取り戻したい、というような気分を感じておりました。

で、わたしはこの連休初日土曜日には待ちかねていた(笑)DIY作業。
管理しているクルマ10台ほどのうち、1台に「サビ」が目立っていたのです。
まぁ経緯はよくわからないのですが、発見したときにはかなりの重症。
症状については写真の通りでありますが、
本格的に「修理」依頼すると10数万円は必要というような状況。
ボディの一部を全交換するというような大手術も覚悟か、ということ。
・・・っていうようなことで悩ましかったのですが、
ちょうど連休もあるので、症状の進行を止め「できることをやってみる」ことに。
いろいろな専門家に対処方針、やり方のサジェスチョンを受けましたが、
ほぼ妥当と思われる改善策を施してみることにした次第。
サビの場所は左側後輪周囲のボディと巻き込み部分。
まずはサンドペーパーで水も含ませてのサビ落とし作業であります。
事前に入手のメンテナンス道具類はHOLTSというブランドづくし。
クルマ補修といえばこのメーカーの独壇場のようですね。
合計の購入金額は6-7000円程度でした。
とりあえず、補修の実質確認のための経費と考えれば妥当ともいえる出費。
サンドペーパーは粗めから徐々に細かいものに番手を変えていって
落としていくのですが、場所が場所なので、どうもサビにドロが付着している。
バケツの水がドンドン汚れていく。丹念にゴシゴシ作業。
で、ボディ金属が「巻き込まれて」いる部分は一部で穴も空いている。
まずはサビと汚れを落として、その状況を可視化させました。
その上で下地に補修用のパテを埋め、練り込んでいくのですが、
その「芯材」としてプラ性の補修芯材を当て込んでいく。
それをパテで固定化させていくという作業であります。
パテの用材を練り込んでなるべく平滑になるように補修箇所に手当てする。
ここで乾燥固化に時間をかけて待つ。


その上で、スプレータイプのペイントで処理する。
この色合いの選定が一番難しい点だと思います。
また、補修メーカーでもいちばんアタマを悩ませている領域のようですね。
クルマって、車種によっても各種色合いが多様になっている。
一応クルマメーカー別になっていて、あとは「色」分かれしているけれど、
ペイントスプレー容器をそれごとに色づけ製造していたのではコストが合わない。
なのでおおまかに青とか赤とかしか「分類」を選択できないのですね。
しかしそれにしても、クルマ用品店のコーナーを相当占有する。
売り場面積対売上げバランスを考えてみても収益可能ラインは非常に悩ましそう。
・・・ということで、HONDA車の青、ちょっと薄目かなぁくらいでエイヤの選択。
でも、ホントはこれは「青」ではなく「グレー」がふさわしかったかも・・・。
まぁ見栄えはちょうどエッジの部分なので目をつむって・・・であります。

ということで作業は完成させた次第ですが、
目をこらせば気になるけれど、まぁコストバランスで考えれば、という選択。
ふ〜やれやれ、ですが、掛かった作業時間はおおむね3時間程度。
事前準備には約1−2日といったところでした。あとはみなさんの評価次第。
これで廃車までサビの顕著な再発が防げるかどうか・・・。

【政権支持率と偏向的報道のマスコミ】

連休中ということで本日は政治ネタです、悪しからず・・・。

9/18付発表の日経新聞世論調査での菅内閣支持率が、74%とか。
これでは政権選択選挙、野党は勝負になるとは思われない・・・。
政治の世界にもっとも大きく影響関与してきた存在は新聞社マスコミ。
報道は常に政治権力の仔細を伝えることで存在価値を持っていたと言える。
とはいえ関与の仕方はプレーヤーではなく、あくまで第3者的存在。
もちろんそれぞれの政治的スタンスもあるだろうけれど、
判断や報道姿勢では一応「事実に基づく」のが基本的建前だった。
その基本がどうも最近非常にあやしくなってきてしまっている。
安倍前首相の退陣表明を受け、それまでの政権支持率が軒並み20%超アップした。
この前例のない驚異的な国民反応はまだ十分に分析されていない。けれど、
日本人的メンタリティーとは隔絶した辞任会見でのマスコミ各社記者たちの
理性的とは思えない「安倍ガー」詰問ぶりを見て、多くの国民が
「こうした記者と7年8ヶ月怒りもせず対してきたのか・・・」と素朴な正義感で同情し
なお紳士的に対応した安倍前首相に対し「見直した」気分が一気に高まった。
新型コロナ禍対応でも、世界的に高評価の「国民保護」結果事実にも目覚めて
いわば「覚醒」的に政権支持率急回復としか分析できないのではないか。
朝日の世論調査ですら安倍政権を71%が実績評価と朝日にとって無惨な結果。
国民の菅新政権への期待値とは、この安倍政権への評価が強く裏打ちしている。
露呈したのは、第3者的であるべきマスコミ自身が逸脱気味である実態。
中立とはとても言えないマスコミに政治の世界で大いに助けられている
野党議員さんたちの残念さ、低レベル化も目を覆うばかりのことが続いている。
ややキレ気味の女性議員の安倍さんの難病への驚くほどの人権無視発言。
もと大阪維新の橋下氏とテレビ番組で同席の立憲議員は
「生い立ちにはその人間のすべてが表れる」と公然と人権侵害的発言を浴びせ
その「出自」について首相に「国会で質問する」と宣言したという。
1日経過し「言葉遣い」だけは謝罪したけれど、今度は立憲幹事長がそれを擁護。
そしてきのうは「デジタル化は時代遅れ、自然エネで」(?)と党首発言とか・・・。
意味不明だったのでよく記事を読んだが、デジタル化は世界に追いつくだけで
追い越せないという趣旨のようだけれど、手段を敵視してどうするだろう。
デジタル政策化志向の菅政権に対し、批判のための批判のような攻撃。
今日の世界で、ホントにデジタル化に反対する気なのだろうか?

どうも政治ではマスコミの偏向報道は、野党の資質を劣化させるのではないか。
健全な批判精神は大いに結構だが手法は理性的論理的であってほしい。
日本の政治を劣化・堕落させていいとは思わない。残念。