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奥州の鉄の歴史

お盆休みも今日まで。
クルマも高速があちこちで渋滞していると言うことですね。
わたしはひたすら、歴史読書に没頭しておりまして、
集中して、ものが勉強できるのはほんとうにうれしい。
治承・寿永の乱の周辺を調べていて
鉄の古代〜中世史などを調べております。
先般からの奥州藤原氏の滅亡プロセスから始まっているんですが、
それは同時に、文献記録のきわめて少ない
わたしが住む、北海道島の歴史をなぞってみる叶わぬ営為に繋がります。

鉄って、現代に繋がっている「南部鉄」の始まりは
記録されている限りでは、盛岡南部藩が始めたことになっているけれど、
どうもそれでは、北方交易の実態として
どうも印象的にそぐわない。
そう考えていたら、製鉄技術に関して
司馬遼太郎さんの言の葉に、「秀衡流」という手掛かりがありました。
秀衡とは、藤原氏の3代目です。
江戸期の南部藩から一気に中世にまでさかのぼるわけですね。
平泉藤原氏に先行する俘囚長権力としての安倍氏には
698年から926年まで、北東アジアに存在した高句麗後継国家
渤海からの移住伝説があるそうです。
年代的には、この渤海が盛んに日本国家に対して朝貢を繰り返した記録がある。
国家間の他に、私貿易的に交流があったと考えても不思議はない。
青森県西北部の十三湊などは
ヤマト政権の最北方拠点の「秋田城」とは距離もあり、
公的な交流の前に、日本海を下がってくる航路の中継点としては
ごく自然に感じられる。
製鉄の歴史は、日本ではひたすら山陰・山陽地域が中心で、
それが全国に広がっていったという説が主要。
しかし、どうも東北の製鉄にはオリジナリティが感じられるのだそうです。
やはり北東アジアと、日本北方地域との間で
活発な交易関係があり、それが盛り上がったのが、
平安末期の動乱期だったのではないか、
そのように思われる状況証拠がたくさん見えてきます。
現在の釜石市は、鉄鉱石の露頭という恵まれた条件で
そういった条件を活かした産業基盤があったし、
それを利用してきた技術基盤もあったと考える方が正しいのではないか。
そんな方向で、いろいろ調べていきたいと思っています。
<写真は、平泉毛通寺の「開山堂」開祖・慈覚大師円仁さんを祀る>

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