やむを得ない「行動変容」を迫られて仕事の仕方、生活の仕方も
やはり元には戻りきらないように思います。
ようするにこれまでの生き方から離陸して新たな模索をしなければならない。
そういうときこそ「歴史に学ぶ」ということが不可欠だろうと思います。
今次の新型コロナ禍で「感染症と日本社会」について、いろいろ気付きがある。
たとえば日本住宅でなぜ「南面する縁側空間」が強く求められたのか、
そのDNA的刷り込みの理由には繰り返された感染症対応での
健康維持空間という知恵・経験知もあるように思います。
「民族経験」のなかから先人が選び取ったものを学ぶことはまさに生きる知恵。
で、わたしどもの基盤・北海道が150年の歴史を積み重ねてきたことから、
この間の建築にしろ、住宅にしろ、その考え方は非常に身近に感じられる。
この150年の歩みというものが教えてくれているモノは非常に大きい。
そして、この時間空間がひとつの「かたまり」を構成してくれている。
多くの先人が関与した結果、高断熱高気密という大きな流れにまとまっている。
それこそ島義勇開拓判官が札幌開府のために入地して以来、
さまざまな「開拓努力」が傾注され、とくに住宅に大きな革新のうねりがあった。
この時間をワンスパンとして捉えることで、
歴史に対してのおおつかみな視点を持つことが出来るように感じる。
この150年掛かって変化してきたことが、ひとつの「モノサシ」になって
ほかの時代のことを想像するときに確かな根拠をもたらす。
150年という歳月は、江戸期でいえばその1.8倍程度の時間であり
奈良時代は半分程度というように把握できる。
この150年で革新できたこと、進化したこと、変わらなかったことなど、
類推の大きな「よりどころ」が見えてくるのですね。
そんなことに気をつけていると、
住宅という領域の「進化」プロセスは、人文的な変化とはややタイムラグ、
というか、変化の様相の時間尺度はより大きなモノだと思う。
なんといっても日本史では平安時代や室町くらいまでは「竪穴住居」や
それのごく変位形態くらいが「一般住宅」であった歴史が見えてくる。
まぁ貴族や高級住宅としての寝殿造りや書院造りはやや様相を異にするけれど。
古代東北の対朝廷戦争であった「アテルイの反乱」での根拠地と目される
「穴居」とは、洞窟住居だったりしている。
平地住居、床が高くなった「高床」住居というのは、箱木千年家を見ても、
土壌の温熱・蓄熱利用の土間住居とかなり長期間、併存していたように思われる。
そういう変遷の実際を見つめつづていると、北海道開拓からの
洋造と擬洋風、さらに現代的高断熱高気密というのは一気通貫の流れとも思える。
巨視的な人間の暮らし方変遷という要素も考え合わせると、
150年くらいというのは、ワングリッドで把握することも可能と思えるのですね。
ただ人間のいごこち探究は、基本的に強い同質性があると感じる。
住宅は合目的的に発展してきている、そう強く思われますね。
<写真は伊勢から北海道上富良野移住の人たちの地元神社への奉納帳>
Posted on 9月 9th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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