写真は鎌倉・円覚寺境内の鎌倉市指定の天然記念物
「ビャクシン」の木であります。
〜ビャクシン属はヒノキ科の針葉樹の1属。ネズミサシ属とも呼ばれる。
樹高はハイネズの様な低潅木からイブキの様な高木まで様々である。
匍匐性の品種も見られる。樹皮は赤褐色で縦方向に薄く長く剥がれる。
葉は短く茎に密着し、互いによりあって葉の付いた枝は棒状の外見を持つ。
時に針状の葉を持つ枝が見られ1本の木に混在する。〜
どうもこの木は宗教家が好きな木のようでとくに鎌倉の禅宗寺院では
ある種、シンボリックに使われているように思います。
この樹木はまさに天然記念物にふさわしく木肌が色めいて露出している。
人類はアフリカで樹上生活していたあと、
さまざまな経緯から樹上から地上に降りて行動するようになったけれど、
夜も地上で過ごすようになるまでにはやや時間が掛かったように想像します。
やはり夜になれば、一番安全な寝場所として樹上にハンモック状の
「寝床」を作って寝ていたことが考えられる。
いまでもヒト属近縁種のオランウータンなどはそのように寝ている。
地上生活を始めたときには、地上を支配する大型肉食獣との関係から
防衛のための道具として、これも木を持っていた可能性が高い。
人類の地球制覇のグレートジャーニーも木によって可能になった。
木は「海を渡る」道具として加工が考えられはじめ
石器を木にくくりつけた石斧で木をくり抜いて舟を作ったとされる。
樹上のベッドから自然の寝床としての洞窟などに住み処は
変遷していっただろうけれど、つい最近ここ1万数千年前くらいから
「定住」をするようになってその素材・材料としても一番に考えられた。
木をくり抜いて加工し舟を作る技術が「木で家を作る」ことに
同時に利用されていったと考えるのが自然のように思われる。
その結果、定住の始まるこの時代には竪穴住居が一般化していく。
木を切ってそれらを組み合わせて「構造」を作り萱などの植物で
屋根を葺いて耐候性も高めたとされている。
そんな想像から考えれば木と家は人類史的にはまだ1万数千年の関係。
しかしそれ以前の「安全保障」的寝床としての永い年月を考えると
100万年以上の時間、木との「対話」は人間の本然なのでしょう。
この写真の木のような木肌は
人間の肌とももっとも近似した意匠性をもっている。
表面の木皮をはいだら露出する木肌は、まるで人肌にも似ている。
人類的なネイティブ感覚が木によって呼び覚まされるのだろう。
こういう天然由来の木肌が宗教施設の一角を飾っている様は
人間の本然に対する気付きの機縁という効用も期待しているに違いない。
しばしうっとりとみとれる時間を過ごしていました。
Posted on 12月 7th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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