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好文亭で考える日本の行く末

さて、好文亭の撮影写真を中心に構成していきたいと思います。
なんですが、この創建者である水戸斉昭さんに敬意を表して
やはり日本のことについて・・・を。

わたし歴史が好きではありますが、
あくまでも現代の平和ニッポンで生まれ育った国内限定的な
ドメスティックなものの見方が肉体化していたんだなと思います。
文献史学に落ち込んでしまっているいまの日本史研究を見ていると
生き生きとしたモノの実証性で切り込んでいる考古学と
もっと交流すべきだと思っています。
文献記録だけでしか、歴史を確認しないという態度は、
どうもおかしいですよね。
同じように、日本のことは日本でだけ考えてもやはり視野狭窄に陥ってしまう。
大日本史を編纂した水戸徳川家の労は多としたいのですが、
やはり鎖国という条件の中で、日本の民族性ってずいぶん内向きになってしまった。
でも歴史って、本当は世界史と日本史というように
完全に分けて学ぶべきではないと思うのですね。
日本史は、大きく人類史の中に位置づけて、その一部を構成する分野である
っていうくらいの理解が本当はいいのではないでしょうか?
日本人の「国際感覚がどうも」という論がありますが、
あれは、そのように仕向けられてきた結果ではないかと思うのです。
どうも日本の学問領域の構成それ自体が「縦割り的」で、専門的視野狭窄を感じる。

現代世界はアメリカによる一極支配体制であり、
グローバリズムという名での金融による経済支配が進められている世界。
消費税の増税とか、TPPとかって、
何年かすると、それらは一体の何かであったというように解析されるのはないでしょうか。
どうもアメリカ発の金融破綻のつけ回しが、ギリシャであったり
スペインであったり、そして日本であったりするのではないかと
不安な気分が胸をよぎってなりません。
こういう分析とか予測って、実体の経済とはややかけ離れた部分があって、
一般的に理解できる範囲を超えている。
いまは、そういうあやうい時代だと強く感じますね。

それにしても、写真を再構成して追体験しても
こういう空間性はいかにも美しいニッポンです。
こういった内向的な美の世界に閉じこもるのも悪くはないですよね(笑)。
やはりわたしたちは、こういう日本的感受性を
次の時代にまで生き延びさせることを考えていくべきなのだとも考えます。
どうも連休で、まとまりはまったくないブログ独白であります、申しわけありません。

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