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オホーツク文化人の住宅

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日本列島の歴史の中で、きわめて特異な存在が
8世紀ころから12世紀ころまでその存在が確認されている
オホーツク文化人。
北海道島の発展の中でも、石器・縄文からアイヌまでの
文化的な流れとはやはり異質。
海獣を主要な狩猟対象として海民としての文化を持っている。
アジアのバイキング集団というようにも言われている。
北海道でもオホーツク海一帯の海辺にその生活痕跡が残されている。
一方で、王朝国家とも交易関係で結びついていて、
北方の狩猟産品の高級品では、
どう考えても彼らの手で採集されていたに違いない産品が、
皇族や貴族の高級趣味生活をうるおしていたと想像される。
で、今回のところ遺跡の森の展示館で
発見したのが、写真のジオラマなんですね。
住宅の形式も違いがあるとは聞いていたのですが、
このジオラマはほかの文化民族の竪穴とはかなり趣が違う。
なにより大型で、20人くらいの共同生活が考えられるという。
後のアイヌの文化に引き継がれた狩猟動物の頭骨を
祭壇のように飾っている。
木材で床組みしてベッドスペースを作っていて、
共同の土間は踏み固められている。
出入り口は、屋根頂部からになっている。
出入りが屋根からという形式は、北東アジア人の特徴という。
後の世のアイヌの衣装が、
「蝦夷錦」というもので、中国皇帝権力機構の
「官服」だったということからも知れるように、
北海道では、北からの交易関係がヤマト国家との関係よりも
むしろ大きいものだったということを表していると思います。
そういう流れの中に、このオホーツク文化人というのは存在している。
どうも、このひとびとの有り様を見ていると、
日本というまとまりではない、広がりの深さを感じざるを得ません。
かれらがどのような考え方、感じ方を持っていたのか、
もっともっと、知りたくなってくる気持ちを抑えることが出来ません。
う〜む、面白いというか、泥沼というか(笑)・・・。
北のくらしデザインセンター
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