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【江戸・東京の都市建築文化「銭湯」の景色】

わたしは大学から就職したての頃、東京生活しておりました。
家風呂のないアパート暮らしだったので、銭湯通いの日々。
東京の街はそういう銭湯が無数に存在している街だったと思います。
で、その銭湯は公共的な衛生設備空間であり、多数の人間が参集する。
一度にたぶん100人くらいの人間が集う空間であり
それなりに大型建築にならざるを得ない。
面積的にも天井高という意味でも一般建築とは規模が違っていた。
したがって街区の中でランドマーク的な存在になっていた。
そのような建築の「用途」が定まっているので、
おのずと外観的には「風呂屋っぽい」という既視感が刷り込まれてくる。
東京の住宅街を巡っていると写真のような建築が目に入り
その規格性に吸い込まれるような印象を受ける。
けっこう永い時間見続けていたが、そう大きな印象を持っていなかった。
しかしふり返って見ると、歴史的にも大きな意味を感じる。
建築という意味でも、また都市空間という意味でも。
さらにいえば、日本人の生活習慣に果たした役割まで考えればすごい。

銭湯というのは江戸に家康が入府した翌年には町場に開業記録がある。
それ以前から、奈良時代の寺院建築で「施浴」施設が民衆にふるまわれた。
仏教が日本に根付いた根っこにこうした公衆衛生思想を
わかりやすい宗教の現世利益的「機能」性として
仏教の価値を民衆に刷り込む目的性を持っていたのではないか。
また、政治権力としても皇后が風呂を提供したりしている。
奈良のような権力の中心「都市」を造営すれば、必然的に
「疫病」が発生する。藤原氏中枢まで命を落とすような
度重なったその被害から「公衆衛生」思想が導入され、入浴機会を
庶民に提供する必要性も高まっていた背景事実も当然ある。
このような入浴習慣・思想があって都市江戸の建設当座から
風呂屋は街区の重要な施設として、江戸から東京にいたる時間、
いわば都市文化として基盤的な建築であり続けていたのだろう。

別にこの写真の風呂屋さんに通った経験があるワケではないけれど、
建築としてのいわば「一般性」の部分で
「あ、これ、風呂屋だ」と直感できるだけの要素があるのでしょうね。
まず大型であること、当然高い煙突を持っていること。
男女別々なので、左右均等性を持っていること、
さらには一般建築よりも1階天井高がかさ上げされていることが
柱梁の真壁構造から見て取れることなどが「一気に」視認されるのでしょう。
ニッポンの都市と風呂屋、なんかなつかしい(笑)。

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