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【寒冷からのアジール 札幌駅公共採暖】

さて数年に一度の寒波の襲来というなかですが、
札幌地方は比較的穏やかな気候推移できております。
この時期に北海道を講演行脚されている東大・前真之准教授と
北海道ビルダーズ協会メンバーなどといっしょに
札幌駅近くで会食・打合せのために待ち合わせ。
前さんは室蘭から汽車で移動されてこられましたが、
途中、野生のシカが列車に激突した事故で数十分の遅れ(笑)。
シカさんの事故は見聞きすることがありますが、
イキモノなので「物損」事故としての保険も利かない
ちょっと悲惨なことになりますが、北海道では日常茶飯事です。

で、わたしも久しぶりにJRに乗っての札幌駅までの移動。
そうしたら、ホーム階から下りての改札口までの間に
写真のような「公共待合」スペースがあり、
なんとなくこういう光景に弱いので、ついつい居着いていました(笑)。
札幌駅の乗降客数はさすがに北海道の中心都市なので
夕方の混雑状況はハンパない。
東京都内のターミナル駅にはかなわないまでも、そこそこの流動数。
しかし駅構内全域までの「暖房」施設は装置されていない。
どうしても、外気との連続空間になるので、
無暖房の空間、外気温と同様の状況になる。
で、そういうなかで時間待ちがどうしても発生すると言うことで、
昔懐かしいダルマストーブ状の石油ストーブがサービスで設置され
公共的「採暖」空間が提供されていた。

北国人にとって、こうした採暖はある郷愁を誘ってくれる。
いまでこそ北海道の住宅技術は「省エネ」の基本技術と言われますが、
しかし北海道的現実では、まずは寒冷との地域社会総体としての
「生きていくこと自体での戦い」という側面の方が大きく、
こういう採暖空間には一種の「解放空間」アジール(避難所)性を感じる。
同じ苦労をともにしている共感が広がって、
どんなひとにも愛情を持って接しなければならないみたいな
共有空間としての民主主義的なものを感じさせてもらえる。
共存共苦とでもいえるようなパブリックがそこにあるようで、
ついつい、みんなといっしょに採暖を楽しませてもらった。
北国人にとっての「暖かさ」という希求は、こんな風景がベースにある。
暖房熱源が石炭だった時代には、各戸には「石炭小屋」が設置され
冬の間中、それこそ間断なく石炭が補充されてきていた。
寒冷との戦いは、個人や各家庭単位の問題ではなく、
それこそ地域総体として立ち向かうべきものであったのですね。
そんな雰囲気の断片を懐かしく思い起こされた光景でした。

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