本文へジャンプ

遺跡の復元住居

7667.jpg
5月2日に行ってきた「ところ遺跡の森」です。
この遺跡は、旧石器時代から、アイヌ期までの8000年以前くらいからの
遺跡が積層している、遺跡の宝庫です。
ここまでの人間活動が発掘され、発見されてきていることは
北海道全体にとって、たいへん貴重な「資産」だと思います。
それが、東京大学の継続的な調査研究の成果でもある、
っていうことなのですから、
歴史的な信憑性とか、真実性はきわめて高く信頼に足るもの。
なにより、日本最高の学府が一地方遺跡のために
ここまで資源をつぎ込んでくれたことを活かさない手はない。
調査自体は、東大の資金で国費でまかなわれてきたのですから、
地方自治体は、まぁ、一定の負担はあったかも知れないけれど、
それを遙かに上回る資産価値をいただいている。
確認されている竪穴住居痕跡だけでも3000近いというのですから、
これはもう、縄文などの時代の大都会、大集落地域といっていい。
しかも民族構成も、多様な民族の痕跡がある。
わたしが高い興味を持っているオホーツク文化人の竪穴住居など、
隔絶するようなレベルの高い文化性を持っている。
ところが、
こういう文化資産を活かすべき現代の貧困さは目を覆うばかり。
まずは、こういう遺跡の存在を地元の人間がほとんど知らない。
友人にオホーツク海沿岸の地方出身者がいるのですが、
「そんなの、あるのか?」
っていう次第。まったく初耳の顔をしている。
そして遺跡の重要な事業になるべき、竪穴住居の復元作業。
これがまったく予算が付かないので、
地元のボランティアによる、勤労奉仕だけで行われている。
っておい、というところなんですが、
作業に当たっていた方に聞いてみると、
時代的、建築的考証は、最初の時に専門家によって指導されて、
その後は、ボランティアにもっぱらゆだねられてきたそうです。
まぁ、確かにきっちりとすべてを綿密には調査できないと思いますが、
ちょっと悲しい現実だと思いました。
石器時代など、どのように「穴を掘った」ものか、
そういう考証から始まって、
本来は歴史や建築の専門家が、いろいろ調査研究しなければならない。
とくに道具の問題って大きいと思うのです。
以前、日高管内の二風谷でアイヌ民族の住居を取材したときには、
たとえば丸木船をどうやってくりぬいたか、
実際に当時の材料を使ってやってみた、というお話しもあったのです。
それには地元で獲れる川床の石が、きわめて材料として適している。
それを掘削道具として使ってみたら、驚くほど性能が良かった、
っていうようなことだったのですね。
そこから、なぜ二風谷がアイヌの集落に適していたかの推論も生まれる。
文化というのは、生活の総体的な把握をしなければならないのですから、
ぜひそのように探求したいものです。
まぁ、アイヌ民族の場合には、そこにダムを造成するために
その国策のために土地を収用するために
国費を文化保護に使えたという側面が大きいとは思いますが・・・。
しかし、そのようなしっかりとした調査は、
あとになって、資源活用を考えるときに、たいへん大きな拠り所になる。
オホーツク圏全域にとって、
この遺跡を中心として、地域振興を図っていく手は十分に考えられると思います。
ぜひ、そのためにはしっかりした本物の調査活動を行っていきたいものだと思います。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.