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日本民主主義・野党への期待

1947

選挙の結果、「いまの日本の民意」は明瞭に示された。
投票率は大変低い結果になったけれど、
それも含めて民意なのだと思うし、
決まった結果に対して、それでどうこうは言えないと思う。

あんまり語られなかったけれど、
今回の民意の底流に、朝日新聞の問題があったように思う。
日本に、国民に、仇を為してしまったリベラルというイメージ。
安倍政権への反対概念=「リベラル勢力」とは必ずしもくくりきれないが
しかし現状でいちばんわかりやすい概念として「リベラル」があると思う。
その勢力側が、もっと自身の問題として
あのことの本質を、深刻に受け止めなければならなかったのに
それをネグレクトしてしまったことが実はたいへん大きいと思う。
きちんと真正面からあの問題を受け止めようとはしなかった。
朝日新聞の単なる「誤報」として、いわば「ちょっとした間違い」のように
スルーさせようとしたことに対して、
日本国民の底流意識として、リベラル勢力に対して
「あなたたちは、日本が本当に嫌いなのですか?」
という素朴な感情を持たせてしまったことが大きいと思う。
その国民的受け止め方に対して、きちんと正対する反論を聞いたことがない。
もちろん、いまでも朝日新聞を購読されている方も多いだろうし
「全体として」朝日の論調に正義を見ているひとも多いだろうと思う。
けれど、朝日新聞が取った行動は、けっして公明正大なものではなかった。
それこそ少なくとも、2/3以上の国民はそう思ったに違いない。
野党側は、朝日新聞を擁護して正面からこれが正しいとも言えず、
しかし現政権には反対だ、というような
国民から見たら「中途半端」なスタンスと見えていたのではないか。
結局、野党が上げられた「声」は、
国民への、現政権に対する「告げ口」くらいしかなかった。
そんな姿勢の「野党」に投票するのなら、むしろ共産党が一番スッキリする。
「批判だけする」のであれば、筋の通った批判主体を選んだ、ということ。
やはり低投票率も含めて、民意は絶妙に表現されるのだと思う。

さて、しかし民主主義には健全な野党が必要であることは論を待たない。
そうでなければ、日本国民は不幸だと思う。
思えば、民主党政権が大敗し、政権が現政権側に移行して以来、
「次の日本の政権はどのようであるべきか」について
建設的な進路は、野党側からまったく示されていなかった。
ここを明確にしていく努力を、日本の民主主義のためにも
野党勢力は、ただちに取り組んでいかなければならない。
本来その「旗」になるべき野党最大勢力の民主党の党首までが落選した。
危機は深いけれど、いや、だからこそ根源的に
次の政権はどうあるべきか、真摯に向き合っていく必要がある。
日本国民は自然権として、そういう民主的な選択肢を持つ権利がある。
民主主義発展のためには野党の役割はきわめて大きい。
現政権側が危機感を持つような「政治的正統性」を訴える必要がある。
なるほど、次はこうあるべきだというビジョン。
わたしとしては、そのとき野党側は少なくとも
「この国と民を愛しています」という強いメッセージを伝える必要があると思う。
別にいわゆる「愛国的・右翼的」になれというのではない、
リベラリズムとしての「正義と公正」という価値観とともに
「深く国を愛している」と、そのようなメッセージが必要なのだと思う。
たぶん、いまの日本社会は過去何回もあったに違いない
海外の価値観のストレートな「受容期」から、
この列島社会のオリジナリティへの「復元期」に相当しているのだと思う。
稲作を受け入れ、「国家」を受け入れ、漢字を受け入れ、
鉄砲文化を受け入れ、開国し、帝国主義競争に参加し、敗戦し、
というような揺れ動きが一段落して、
そのあとこの社会では常に、本来回帰するような民族社会を復元してきた。
そういった洞察に踏まえた、次の選択肢を野党に期待したいと思う。

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