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【世界宗教と異質なアステカ太陽信仰 古代メキシコ-9】

人類の進化史のなかではさまざまな宗教が生まれ、独特の価値体系が民衆に信じられていた。中米のアステカはそういうなかでも特異な存在だろう。日本の戦国時代に相当する時代に発生したこの文化圏は、周辺地域に対して非常に好戦的に戦争 […]

【戦国武田氏とも似た武闘派アステカ文化 古代メキシコ-8】

さて古代メキシコの東京国立博物館での特別展からの民族性探究、テオティワカン文化の地域に後継的に出現したアステカ文化についてであります。名前から刷り込まれているイメージはもっとも武闘派のイメージ。 実際にはその成立は142 […]

【土偶的美感が一世風靡した社会か? 古代メキシコ-7】

古代メキシコで紀元前100年当時から紀元550年当時まで栄えた高地文明「テオティワカン」を見て来た。 その中心施設「太陽のピラミッド」から出土した「死のディスク石彫」と呼ばれるのがいちばん上のもの。舌を出す頭蓋骨の周囲に […]

【土偶VSテオティワカン人物像 古代メキシコ-6】

人間・人体をどう表現するかというのは、有史以来の人類の大テーマだったでしょう。しかし非常に写実的に描かれたラスコー洞窟壁画などでは約40,000年前の頃の人類の主要な観察対象は狩猟の対象である動物群であり、同類としての人 […]

【テオティワカンの動物偶像と八咫烏 古代メキシコ-5】

古代メキシコの西暦紀元前100年前後から紀元後500年に栄えていたテオティワカンでは、宗教的ピラミッドなどからいろいろな動物をかたどった偶像が発見される。 上の写真はそのなかでも展示会で目を見張らされた極彩色の「鳥形土器 […]

【テオティワカン・ピラミッド像と東北仏像 古代メキシコ-4】

古代のメキシコ文明と、人類の全大陸進出・グレートジャーニーでは「ほんの」3万年前に別れ別れになった日本文化との対比チャレンジシリーズであります。きのうは宗教都市テオティワカンの太陽のピラミッドと時代的にも相応すると思える […]

【宗教都市テオティワカンと日本の神道 古代メキシコ-3】

上の写真はテオティワカンの「太陽のピラミッド」を中心とする景観とその都市地図。 〜前100年頃、メキシコ中央高原の海抜2,300mほどの盆地に興り、AD550年頃まで栄えたテオティワカン文明。約25平方キロの都市空間に最 […]

【テオティワカン⇔弥生〜古墳期 古代メキシコ-2】

世界史の学習ではおおむね西洋史が基本の流れとして把握されて、中国史や日本史上の出来事がそれとの対比として認識されるのが一般的な歴史学習。そういう基本の流れとは異質な古代メキシコを見ていくとすれば、やはり日本史との時系列対 […]

【はるかな日本の兄弟文明、古代メキシコ-1】

人類というのは7−8万年前に中央アフリカ地域で現生人類が誕生して、その後、アフリカ大陸の大地溝帯生成時期に出アフリカを果たして以降、全世界に拡散していったと言われる。いわゆる「グレートジャーニー」ですね。考古学・人類学で […]

【暖炉にみる明治の懸命な文化導入 旧岩崎邸探訪-4】

明治の初年に北海道の開拓が進むにつれて、欧米からの暖房機器の輸入、国産化がすぐに開始されていった。幕末〜明治初期の志士たちは「北門の鎖鑰(さやく〜外敵の侵入を防ぐ重要な場所の意)」というコトバを交わし合っていた。日本国家 […]