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江戸期の平和維持システム

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ライシャワーさんと司馬遼太郎さんの対談、どちらも故人ですが、
それを読んでみたら、ライシャワーさんがさかんに江戸文化に着目しています。
江戸期、たいへんな平和社会を200年以上継続したことで得られた、
集団内部での協力性とか、組織への忠誠心というような
日本と日本人社会が獲得した「組織平和の維持」システムに大きく注目しているんですね。
このようなものの見方は、やはり欧米人であって、
一方で深く日本及び日本人を理解したライシャワーさんの慧眼だと思います。
まぁ、日本人が気づきもしないようなところまで深く日本人を研究したこんなひとが
アメリカ戦争参謀本部みたいなところにいたんですから、
彼我の違いを考えれば、敗戦は必然だったのでしょう、余談ですが。
それはともかく、江戸期の社会のシステムの中に
現代の日本の素型はすべて出来上がっている、
現代が変化したのは、表面的な形だけであるというようなことば、なんです。
確かに現代の企業や官僚システムなどの内部の論理を見ていれば、
その独特の組織維持の強固な安住性というものは際だっていますね。
江戸の末期に、官僚化した幕府組織が非効率そのものになって、
まことにあっけなく瓦解したともいえるのですが、
その原因は、組織の維持ということだけが大目的になってしまって、
本来の目的に対して機能しなくなるような、組織内平和第一のシステムなんですね。
こんにちさまざまに官僚機構において起こっている
末期症状とも言えるようなシステム障害の数々を見せつけられています。
防衛省の機構的とまで言える「システム障害」が引き起こしている海難事件。
官僚システム内部での弛緩ぶりが、もはや、外部にあられもない形で表面化している。
一般社会に対して、整合性のある説明も取れないような破綻ぶり。
艦長さん個人としては、まことに正しいことばを発していましたね。
「国を守るべきものが、国民を死に至らしめてしまった・・・」
こうした認識がまだ残っているウチに、
このシステム上の不具合に対して、直していくことに取りかからなければならない。
インターネットの普及による個人意識の高まりは、
江戸期から続くこれまでの社会が第一の大前提としてきた、
「組織維持がもっとも大切だ」という考えに風穴を開けつつある、
というのが現代の変化の一番大きな部分なのではないでしょうか。
このような見方が出てきたことで、
既存の官僚システムの破綻ぶりが際だってきているということも言える。
もともとが強い個人意識に裏付けられた社会である欧米では
インターネットの出現は、その延長線上でのことになるのでしょうが、
日本型の社会では、未体験の領域を作り出してしまう、
そんな気がしてなりません。
みなさん、いかが感じられているでしょうか?
<写真は江戸期の出版物、旅行カタログから。>

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