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愛読書

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もう何年間、この本と付き合ってきたか・・・。
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」とか、「太閤記」とか。
ちなみに奥付を見たら、昭和51年発行になっているので、
もう30年以上も手元に置いて読み続けている本になるわけです。
定価はカバーに表記しています、と書かれていますが、
とうの昔にカバーはなくなっているので、いくらで購入した本であるか
いまはもうわかりません。
この「上巻」は、一部、綴じも壊れてしまっていますが、
それでも、ずっと読み続けてきた。
どんな読み方をしてきたのか、といえば、はじめはまぁ、2〜3回通読した記憶はある。
その後は、適当にページを開いてそこから読み始めて
最後まで読むこともあったし、そのまま、寝込んでしまうこともあった。
長い時期で、数年間目にしないということもあるけれど、
時々思い起こしては、また読んでいる、っていう次第。
そんな読み方をしているので、
内容というか、書いてあることは、ほとんど全部と言っていいほど
記憶の中にインプットされている。
それでも、読み続けてきたのは、やはり、
こっちの年齢があがってくるほどに、「行間の消息」が見えてくるから。
意味としては、全部理解しているけれど、
そうではなく、小説なので人間の心理を描写しているので、
その心理などが、こっちの体験が加わるごとに重みが違ってきて、
書かれた文章の意味合いが、いろいろな色合いに見えてくるのですね。
とくに、死を巡っての否応ないこちらの体験の積み重なりが、
同じ無常観を体験した先人たちの心理を通して、
こちら側に、いつも違うかたちで読めてくるのですね。
司馬遼太郎さんというのは、
稀有な形の「国民文学」という最後の作家になるのかも知れないと思います。
ちょうど日本が高度成長期にさしかかり、
いつも「坂の上の雲」を目指し続けた時代の雰囲気の中で、
幸福な同時代感覚の中で、作家活動を続けることができた人ですね。
もう死んでから12年になるようです。
死ぬ前に書かれた文章では、日本の将来に明るさは残念ながら見られない
と、書かれていたことを覚えています。
産経新聞在職中に、自社の連載小説に応募して『竜馬がゆく』が
審査を通って採用になったのだそうですが、
その当時の社長さんが、社員でもきちんと賞金を払ってくれた(笑)
と書かれていました。でも、家一軒建てられるほどの賞金は、
新聞記者出身者らしく、「取材」のための古書購入費にほとんど充ててしまったそうです。
当時借りていた住宅の床が、それで抜けるのではないかと心配したということ。
そんなことから、歴史小説を書くのに、
かれは、本当に過去の出来事であるのに、
実際にその場所に行ったり、まさに、ニュース取材のような方法でやっていたらしい。
そういう結果として、日本の歴史に対して、
独特の歴史観や、思いが募ってくる部分があったのだろうと推測します。
そういうかれの仕事の中では、
比較的初期の仕事ではあるのですが、
戦国の終結期の、「天下」成立後の複雑な「政治」情勢が、
肉声が聞こえてくるような筆致で書かれているのですね。
ここまで長く付き合ってくると、
これからもきっと、読み続けるのも間違いないでしょう。
こんな読書の仕方もあると思う次第ですが、
出版という業種自体の危機が進行しています。
今後どうなっていくものか、先行きは難しい時代ですね。

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