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木組みの技術

写真はある古民家の壁面です。
まぁ、よくある壁面なんですが、
柱が全部、まっすぐに製材されたものではないことに気付く。
木を製材するって言う技術というか、そういうシステムは
実はそんなに古くからあるわけではなく、
本格的に始まったのは明治以降。
それまでは、木組みの造作は、大工が建てられる住宅の周辺の森に分け入って
めぼしい自然木に目印を付けながら、
「これは大黒柱に、これは梁に・・・」というように
頭の中にある家の図面を参照しながら、木を切り出させることから始めていたそうです。
建築の作事は、そういった大工を手配でき、山林も持っているような
有力者が「旦那」としてスポンサーになっている一大事業だった。
そういった事業の本質だったので、
戦後、大量に「戸建て住宅」需要が発生する社会的要請が起こったとき、
既存の大工組織では、大量注文を捌ききれないと当局が判断したのでしょう。
そこからハウスメーカー組織という日本独特の住宅生産システムが生まれた。
一方、欧米では、労働者階級の戸建て住宅需要は
ゆっくりと発生していったので、住宅生産システムは
既存のものがゆっくりと熟成していく経緯をたどってきた・・・。

っていうようなことは置いておいて(笑)
壁の木組みの材料です。
みごとに不揃いな根曲がり材が器用に使われていて、
その大工技術の高さに感嘆する思いがします。
自然木のカーブをそのまま使って、しかし、この古民家で300年近い風雪に耐えてきている。
基本的に一品生産として存続してきた木組み技術の
有り様をまざまざと見せつけていますね。
現代ではこういう不合理な生産システムは受け入れられないでしょう。
たぶん、材料の吟味のような段階から、その目利きの技術のようなものは
きれいさっぱりと消えてしまっているでしょうね。
たぶん、その材料の木がどのような条件のなかで生育していて
だから構造的にはこの場所で使われるのに適性が高いと判断する、根拠技術が消えている。

考えてみると、こういう目利きって
その材料の個性やらをしっかりと把握して、活かして使う技術。
江戸までの日本社会では、こっちのほうが主流だったのでしょうね。
それはたぶん、「人間の目利き」についても同じだったのではないか?
現代では、ひたすら規格的な教育人材生産を行っているわけですが、
それって、材料の規格化という「大量生産型」社会にアジャストさせた考え方ですよね。
で、今日の出口なしの日本社会の状況を見ていると
そうした考え方で育成された人材で、この危機を突破できるのか、
はなはだ疑問だと感じられるところ。
この壁面のような個性が相響き合うような社会こそが、
これからめざすべき社会なのではないか?
そんな思いがなんとなく感じられ、その美しさにしばし見入ってしまった次第です。

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