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閻魔大王の地位

先日の東京出張の折、
時間を見計らって、東京国立博物館に空海展を見てきました。
まぁ、わたし的には展示としては、期待はずれかなぁというところだったのですが、
最近のこの博物館、ユーザーの反応の結果だろうと思うのですが、
美術と言うよりは、民俗的な方向性に展示内容が向かっていると思います。
「博物館」なので、当然ですが、
やはり、ある程度は古典的な美術品というものを期待したいですね。
でもまぁ、平日なのに押すな押すなという盛況ぶり。
何年か前にやった仏像展がきっと大当たりしたに違いない。
そこから、宗教的な民俗観を前面に出してきているのだと思います。
しかし、実際の展示は、なかなかに難しい。
最後、宗教的世界観を多くの高野山からの借り物の仏像で
立体的曼荼羅で構成しようとしたようなのですが、
そもそも宗教的世界観自体、いまの時点では説得力に乏しいし、
現物としての迫力も、イマイチかなぁと思いました。

そんな印象を抱きながら、
平成館から本館を抜けて帰ろうと思ったら、
本館壁面に大型の「地獄図」展示があって、
ご覧のような、お懐かしい閻魔大王様にお目見えできた次第。
そうなんです、民俗的視点から言えば、宗教的展示で
何か決定的に足りないなぁと思わせるのは、このわかりやすい
勧善懲悪、とくに人間の弱さ・悪が裁かれる、ド迫力の恐怖感なのです。
わたしたち年代くらいまでが、かろうじてこういう日本人的世界観の根源を
肉体的恐怖感とともに持っている。
こころのなかで「ウソを言ったら、閻魔さんに舌を抜かれる」みたいな
内語が、常に反芻している年代なのですね。
たぶん、これはわたしが日本的村落共同体で寺などが行ってきた倫理教育を
肉体的に記憶している終わりの頃の年代なだのということを表している。
わたしたち年代以降、
そうした共同体的倫理教育は廃れ、
ひたすら闇のない、フラットに明るい「民主主義」的な教育が行われた。
閻魔大王、といってもたぶん、通じない世代も多いのだと思う。

というようなことは横に置いておいて、
やはり、閻魔大王というのはいいですね。
いつ見ても、誰が描いても、惚れ惚れとする極めつけの恐さを持っている。
けれど、端的に男性的ですぱっとした爽やかさに満ちている。
雷オヤジの大親玉、っていう、いなくなっては困る存在の極地。
こういう存在が地獄の釜の縁で待っていることが、
人間社会には、なくてはならないのだと思います。
わたし、個人的に
「これだけは日本に言い残したい遺言があるカミナリオヤジ連合」
というような結社を夢想しておりますが
その首長には、やはりこの閻魔大王様がふさわしい。
まぁ、選挙をやってもほとんど泡沫でしょうが(笑)、
やはり、日本には元気のいい閻魔大王が必要だと思っています。
いかがでしょうか?
ぜひ、閻魔大王に正当な地位を与えるべきです。

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