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【越中富山の薬店舗/日本人のいい家⑬-1】


北海道には北前船交易による江戸期からの移植文化が根付いている。
なかでも、北陸越中や越前、近江商人などの影響が大きい。
札幌の地元デパート・丸井今井さんは北陸出自とされていて、
そういった歴史的余韻が冷めやらず存在している。
彼の地の越中富山の「薬売り」という日本の「訪問販売ビジネス」は興味深い。
薬売りさんたちにして見れば、北前船で渡れる北海道は、
案外、行きやすい販売エリアであったのかも知れない。

わたしの子どもの時期、いまから60年も前になるけれど、
富山から来てくれる薬売りのおじさんは、2枚目の写真のように、
紙の風船をこどもたちに配って、子どもたちは大喜びでWELCOMEしていた。
まったくたわいのないギミックだけれど、
娯楽の少ない時代、こんな紙風船でも子どもは純真にだまされていた(笑)。
クスリというのはいまのようにたくさんの大型ショップがある時代ではなく、
しかし、在庫保存可能なものであったので、
年に1〜2回程度、定期的に訪問販売すれば、用が足りていた。
風邪クスリ、おなかのクスリ、軟膏類などの日曜薬品を定期訪問して
補充販売するというビジネススタイル。
オヤジやおふくろは、そんな薬屋さんを心待ちにしていたように思う。
それは得がたい「情報屋」さんの側面を持っていて、
本州、北陸地域の生きた情報を聞いて、たのしい歓談機会としていた。
わたしは、そういう歓談の様子を末っ子として臨席して聞いていた。
なぜかそういうヒアリングが好きだったし、オヤジも自然に同席させていた。
情報源としてそういう話を聞くことで想像力の羽根を広げていたのではないか。
いまはそんな気付きがしている。

そういういわば一方通行だったコミュニケーションが、
一度訪れた富山で双方向に広がる機縁を思い知らされた。
はじめて訪れたけれど、紙風船のような媒介ツールを通して、
情報のシンクロがお店の空気のなかで駆け巡っていたように思います。
「そうか、あのおじさんはこういう店舗から派遣されてきたのか(笑)」と。

きっと日本の「情報流通」はこういった人々を介して
全国での噂話のようなカタチで流布されていったに違いない。
ビジネスと人間情報の深い関わりがこだまのようにリフレインしてくる・・・。

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