本文へジャンプ

【明治の永山邸・「手づくり」の暮らしのいごこち】


すっかり明治初年建築の「永山武四郎」邸がシリーズ化であります(笑)。
現代の住宅と比べてサイズはむしろ小ぶりで
主要居室も4つだけの平屋住宅ですが、その分、使い手の息づかいもみえて
好感を持てる住宅だと思います。
このところ、発表できる住宅以外でも「住宅取材」を多数行っております。
やはりどんな住宅も面白みがあって興味が尽きません。

写真は建物全体の主要居室である座敷に南面した縁側の東側奥にある
トイレに接続した「洗面」であります。
配置的には、正面の開口は完全に南面した「一番いい場所」。

外側から見るとこの開口部は「ガラス建具」ではなく、外部は木で桟組みされて
室内侵入を防いで、外光の取り入れに紙障子建具を使った、
いわゆる一般的な和風住宅の開口部仕様。
室内の用途造作も、洗面としての機能をしっかりと満たしていて
人間サイズの「使い勝手」に対してやさしく対応している様子が伝わる。
これらの内外部の仕上げすべてが大工造作による手づくり。
洗面ボウル部分はサイズにピッタリな金物ボウルが据え付けられている。
現代住宅では、こういう部分はすべて既成建材が用途を果たすので、
イマドキの大工さんにこういう仕上げを頼んだら、大変なことになる。
しかしこういう視覚的な「感触」は非常に「人にやさしい」と感じさせてくれる。
なんというのか、作ってくれた人の「思いやり」のようなものが伝わってくる。
使用する人間はご主人だけでなく、いろいろな体の寸法の家人・客人。
そういった人間サイズについて大工職人の「手作業」ルーティン化がされて
「ほどよく」なっていたことは明白ですが、つい最近のコロナ禍から
ここで石鹸を使って手を洗ってみたいと、強い衝動を覚えてしまった(笑)。
なんか、そういうふとした動作のために費やされた労を思わされる。
現代の仕様と違うのは水道蛇口がないこと。
「あ、そうか、この時代は「水道」がないだろうから、水を甕に入れて
この左の平面に置いていたものだろうか」みたいな想像力が働いてくる。
その水くみ作業は毎日のことであり、家族が暮らしを維持するのに、
家事を分担してみんなが労と楽の両方を共有体験していた。
そのような暮らしようって、作ってくれた人や維持してくれている人への
自然な感謝の気持ちがごく普通に芽生えるのではないだろうか、と。

現代的な利便性、既製品選びという「合理主義」は当然だと思うけれど、
たまにこういった「手づくり感」と出会うと、
その失われた部分にリスペクトを抱くと同時に人へのいたわりを感じさせられた。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.