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書き始めてみる・・・

前から構想していた物語、
おととい、スタッフのみなさんと取材に向かう車中で
構想として少しお話ししたら、
後ろを押されてしまう羽目になってしまいました。

っていうか、やはり、
もうそろそろ、熟成期間が終わって、
実際の時代背景の特定や、登場人物のキャラクタリングなど、
想像力の作業が必要な段階になってきたのかも知れません。
考えているのですが、
こうやって毎日欠かさずにブログを書き続けるって、
「文章を書く」ということにとって、
基本的な条件をクリアするのに非常に役立つと思っています。
まぁ、ブログなんで、
ある程度は気軽に取り組める部分があるわけですが、
さりとて、毎日書く以上、
自分の基本的興味分野にたいしてウソをつくわけにも行かない。
そういう意味では、思索の方向を深めるという
そういった効用はきわめて高いなぁと思います。
しかし、物語(小説、という書き方はしたくない)というのは、
そこで息をする登場者、人物が必要なわけで、
かれら、彼女らが、
どういった「生き難き世を生きたか」という部分への想像力が
最大のテーマになりますね。
なぜ、どうして、という動機の部分の構想が
人間的判断とともにあって初めて、
その人物への共感というモノがありうるのだと思います。

こういったテーマは、
さすがにブログで深く考えるということは難しい。
断片的なことがらや、事象について考えるには適しているけれど
生き方を考える、というのは難しいというところ。
考えてみれば、人生を構想する、
っていうようなことって、現代では
非常に狭い範囲にとどまっている部分がある。
最盛期のイギリス人の青年の中には、
世界中に冒険的に人生を探しに行くような若者が多かったという。
たとえば、チンギスハーンのような人物は
そもそも民族自体が、放牧牧畜を基本にして、
パオと呼ばれる移動性のテントを住み処として暮らす民族。
そういうなかから、どういう人生構想を持つのか、
そういった想像力が現代日本では極めて希少になっていると思う。

過酷に見えるような人生行路であっても、
そこにやすらぎもあり、豊かな愛情生活もあったに違いない。
もうちょっと、生き方の枠を広げて考える方が
楽しい生き方を発見できるのではないかと思います。
さて、長編なので、すこしづつ、頑張ってみたいと思っています。

北のくらしデザインセンター
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