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帰ってきたリュック

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1ヶ月以上前に背中のつなぎ部分が
はがれてしまっていたリュック。
そのときはすぐに使うことから別のものを購入していましたが
ダメもとで、直すことは出来ないか、聞いてみていました。
「あまり、聞いたことはないのですが・・・確認してみます」
と、言ってくれていました。その後、1週間ほどして
「本社の確認が取れました、大丈夫、直せるそうです」
という知らせをいただきました。費用もまぁ、納得できる3000円ということ。
それで、直しをお願いしていたのが、できあがってきたのです。
わたし、こういうの好きなんです。
実は腕時計も未だ、アナログのオメガ使っています。これは死んだオヤジから
あるとき、「これちょうだい!」と、きちんと(笑)貰ったものなんですが、
それ以来、30年以上使っていまして、ときどき電池交換するだけで
ずっと、使い続けています。最近はやや進み気味になっていますが
そのうち、分解修理でもしてみて、使い続けようと思っています。
で、こういういわば、職人的な仕事の結集って、単純に感動してしまうんですね。
まず、きちんとした物づくりの職人仕事があって、
それを受け止めるユーザーの愛着がうまれでてくる。
その愛着が、ものを大切に使うことにつながる。
使い続ける中から、修理しても使いたいという心理が生まれる。
そして、そういう心理をまた、きちんと受け止める職人仕事が存続し続ける。
こういう物づくりのための信頼関係みたいなものが、いいんです。
なんでも使い捨ての方が合理的だ、なんていう
開発独裁・発展途上国みたいな、文化のレベルの低い状態から
江戸や戦前までの日本の本来の職人仕事をベースにした
「循環型社会システム」こそが、LOHASであり、
サスティナブルな社会の基本ではないでしょうか?
やっぱ、多くの人がそういうふうに考えはじめているというように感じます。
このリュックの一件、まさかホントに
直してくれるとは思っていなかったんですが、
そういうこと、やってみようと考える人が増えてきた証明のようですね。
わたしの仕事の住宅の分野でも
古民家再生であるとか、古材の利用であるとか
こういう考えを志向する動きも強まってきていると思います。
できれば、そういう流れをささえるような仕事をしたいな、と。
みなさんは、どうお考えでしょうか?

One Response to “帰ってきたリュック”

  1. 私も最近、父から貰った(強奪)seikoの機械式腕時計を修理したのですが、もう部品がなく職人が全部手作りし、25000円もかかってしまいました。(皆からは「なぜ新品を買わないのか」「馬鹿じゃない?」と言われました)しかし物には記憶があり、物(環境)との間にあるそれらの記憶が私です。そして、私が時計の修理によって出会った人たち、そしてそこで私が支払った対価でさえ私を構成して行くのです。おかしな考えでしょうか?現在の資本主義下では最低限心に留めておかなければいけないことだと思うのですが…もう未来なんて概念、市場という神の前では存在しないのかもしれませんね。

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