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【長時間に耐える疲れない運転マナーを】

わたしは小学生のころ10才上の兄の運転するクルマに同乗して以来、
クルマとの付き合いは約60年近くになる。
18才の運転免許取得可能年齢になったら即取得しました。
で、学生時代には運転手のアルバイトをずっと続けていた。
大学卒業後勤めることになった会社では、入社試験代わりに出張に同行して
社長の運転手を務めていたりもした。
慣れていたので、「安全運転で行きますので、よろしくお願いします!」と
物怖じもせず社長にきっぱり宣言してからハンドルを握った。
まぁなんとなく自己主張せずにハンドルを握ったりして
助手席にいる上司に気を遣ったりすることがあるとキケンだと思ったワケですが、
運転すると言うことは「命を預かる」ことでもあるので、
それくらいの自己宣言することは安全上の必要があると思いました。

そんな若いときからの運転歴ですが、
たぶん戦後の社会で多くの人が同じような経験をしてきたことでしょう。
そんなクルマ運転への空気のようなフツー感覚があって、
仕事でも移動することが前提になる仕事の作り方に
まったく抵抗がないというか、ごく自然にそのような選択をしてきている。
たいへん広域な北海道とか、東北全域といった事業サイズでメディアを構想し
相当大きな移動スパンを前提にして事業を考えてきた。
という次第で、クルマの運転に対して強い疲労感は持たなかった。
ある時期までは1日移動距離500-600kmというのは苦にしていなかった。
ところが、50代はじめのあるとき、
東北道・長者原PA手前でアタマがふらふらしてきた。
どうやら貧血っぽい症状があらわれて、高速運転ができなくなった。
20-30km程度の運転がやっとで、ようやくたどりついた長者原PAで仮眠した後、
すぐ近くの東横インにチェックインして倒れ込むように休んだ。
それ以来、1日走行距離の限界を400km程度と算定して、
それ以上の長距離・長時間運転は避けるようにしています。
今回、仙台から一番遠くではむつまで走ったのですが、
この距離が大体400km程度になる。ギリギリとは思ったのですが、
やはり前述のような経験があるので、時間が遅くなってきたこともあって
300kmを超えるようになってからは、PAで周辺ホテルを探したりしていました。
こういう体験はトラウマのように自分を追い詰めてきますね。
まぁなかなかホテルが見つからず、なんとか、仙台まで到着もして
問題はなかったのですが、やはり年なので、ゆとりのあるスケジューリングをと
反省しております。ちょっと長すぎ・・・。
でも久しぶりの長距離運転しているウチに、
ようやく「疲れない走り方」を思い出してきていた。
それは、トラックとペースを合わせて後続していく、というもの。
大体長距離運転がフツーのかれらは、スピード選択も間違いが無いし、
きちんと休憩もしっかり取っていますね。
おかげさまで、帰りの仙台までは比較的ラクに運転しておりました。

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