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【自然木の風合いまんまを建築で使う】



いわゆるモダンという概念は、無意識的に現代の工業化を背景にしていて、
その合理主義精神を簡素に表現するという考え方のように思えます。
一方で現代の建築では、過度に「工業化」が進んだことへの
人間感覚の揺り戻しのような、ある種「ルネサンス」的な、自然派というべき
志向潮流が存在すると思います。
これはわかりやすい考え方だと思いますが、
しかし、モダンの合理主義を盲目的に否定する考え方には不合理もある。
自然素材での家づくりは目指すべき方向としては間違いのない方向。
ただし、そうであればあるほど、自然素材の当然の弱点である経年変化リスクも
高まらざるを得ない。たぶん完璧はあり得ない。ものづくりとしてどこかで
「折り合い」をつける必要がある。もちろん住宅建設者としては
自然素材の家づくりで問題が出ないようにする努力は頑張るべきだけれど
もしそのリスクがすべて「お金」に換算されたりするのであれば、
建築のビジネスとしては危険回避の方向に向かうしかないでしょう。
自然素材を使いたいとしながら資本主義的合理主義価値感だけは全開で、
工場生産品のように完璧を作れ、という考え方へ対応はなかなか難しい。
よく大手ハウスメーカーでは、自然木利用での経年劣化クレーム対応のために
工場生産したウッドチップ集成材を「これは木です」と言って使うとされる。
イヌは欲しいけど面倒をみたくないようですから、イヌ型ロボットにしますみたいな。
こういうのって、どうも本末転倒なんではないかと。
たとえば虫などの問題は典型ですが、自然素材であればあるほど
かれらにも「住みよい」のは自明。建物を自然素材だけを使って
薬剤塗布も人体への危険性があるからと使わずに、
完璧に虫が寄ってこないように作れというのは、現状では対応しにくい。
やはりできるかぎりメンテナンスを心がけるとともに、
それをどこかで許容し「愛でる」気持ちが人間的対応と言えるのではないか。

そういった現代の人間心理と建築のひとつの臨界点のような事例。
1枚目、2枚目の写真は、先般紹介したニセコのホテル外壁の一部。
たしか北海道下川から出荷されている外壁素材で、
表皮を剥かずにそのまま、自然木の風合いで半割して使っている。
まるで手作りの丸太小屋みたいな演出をしている。
わたしは木の専門家ではないので、こういったコロンブスの卵のような
木の使い方を見ると率直に面白いのですが、
たぶん、メンテナンスについてはいろいろ問題点もあるのではと想像しました。
第一、素材の寸法調整はいったいどうやっているのか、
まっすぐの木ばかりではないのは誰にだってすぐにわかること。
その結果生じる「すき間」についてどう対応すべきか。さらに経年変化も想定される。
3番目の写真では荒っぽく処理した自然木っぽい風合いで構造ともしている。
こういう使い方では、木材の樹質によっても千変万化すると思われます。
素材の木の乾燥度合いによって、経年劣化・変化がどのように現れてくるか、
まったく予断を許さないだろうと思います。
ねじれとか、曲がりといった自然木ならではの変動が大いにあり得る。
その自然木に、構造加重を持たせるというときには、
相当に変動スパンに余裕を持たせなければならないことは自明。
きのうの取材例でも、細部検証で雨仕舞いについては難しさもみられました。
愛情を持ってメンテナンス努力を注ぐしか対応はないと思います。

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