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【謙虚にシアワセを実現する「エコハウス」】

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わたしの「日本エコハウス大賞と,北海道の住宅」の投稿に対して
全国各地から、たくさんのコメントが寄せられています。
北海道の立場の山本亜耕さんとかわたしに迫られてくる(笑)。
とくに選者でもある西方さんから、
「北海道勢を呼び込みたいのは単に断熱・気密性能が高いだけではなく、
それをものにすることで建築文化や建築生産の在り方が脱日本化したことです。
良くいわれるデザイン、デザインも
ジャポニカ的な感覚的な空間(松村秀一先生が言う所の
自分らしか意味が通じない空間という言葉)のキレイキレイではない、
論理が通った形態と生活の場です。北海道には北欧やフィランドの影響が、
北東北にはオーストリアフォアールベルクの影響が底にあり、
ガラ携ではなく脱ジャポニカしています。
寒流と暖流のぶつかり合いと混合の場をもちたいのです。
そこから何が生まれてくるのを知りたいです。」
というようなコメントが寄せられていました。
また、賞の主催者側の建築知識ビルダーズ・木藤編集長からも
「以前、三木さんにも投げ掛けたことですが、誤解を恐れず
素朴な疑問としてお聞きしたいのが、北海道の方々は
地球環境やエネルギー問題にも、住宅はあまり関与していない
という見解なのでしょうか・・・? または耐久性とか、建築の普遍性といった
エコにもあまり関心がないのでしょうか…? 
高断熱高気密が長年当たり前できた北海道の住宅は、
今、何がテーマになっているのでしょうか・・・?」
という根底的な問いが寄せられています。
どうも、北海道全体に向けられているご意見と思いました。
わたしがそれに答えることがふさわしいのか、疑問ですが、
意見交換の場を作った者として、お答えは考えざるを得ないと思いました。
こういう対話が新しい展開を生むことは間違いないと思います。

そのどちらの問いかけにも、いまの北海道の住宅のありようが
当たり前ですが、そのままの答えなのだろうと思っています。
北海道ではいま、7割までが地域の中小規模の作り手が個別生産的な
戸建て注文住宅を作っている現実がある。
この市場での優位性、「地場力」の強さは全国でも珍しいことのようです。
そしてその地場のなかで厳しい「競争」が起こっている。
そのなかから「地域ブランド」にも似た作り手が育ってきている。
さらにニセコ地区では、世界の感受性に訴求させる住宅づくりでも
そのプレーヤーとしてかれらが参入し成功し評価を得ている。
インターナショナルな評価にも十分に耐えられる多くの作り手が存在する。
また、多くの作り手が全国とくに首都圏からの住宅の受注に成功し、
わざわざ出張して、各地で家を建てている。
東京の著名建築家よりも「仕立てのいい」北海道の作り手を
評価している首都圏以西、以南のユーザーは多いということ。
見てくれでない「デザイン」、着心地ならぬ居ごこちが評価されている。
そういった住宅事例を取材もしています。
東京に出張するたびに、そういう作り手のみなさんと遭遇する機会も多い。
昔、西方さんの言われる「ジャポニカ的な感覚」をありがたがって、
著名建築家に北海道で家を頼むユーザーがいた時代を考えれば隔世の感。
そういった現実自体が、「寒流と暖流のぶつかり合いと混合の場」だと思います。
「東京の設計者にプレゼンで勝つ北海道の作り手」は多い。
あと、木藤さんの疑問にはなんとも答えようがありません。
住宅はあくまでも個人としての営為であり、そのシアワセを追究するのが
作り手の基本的な態度だろうと思います。
エコロジカルであることは、この時代、誰もが思うことであり、
そうありたいと思っているなかで、個人としての家づくりがある。
エネルギー使用それ自体が人類的な罪業であるとまでは思えない。
少量の暖房などへの使用自体は、普遍的なものだろうと思います。
やはり北海道ではことは人権的、生存保障的な側面まで持っている。
いわば謙虚にシアワセを実現したい、というのが基本的態度なのだと思います。
その価値感と、競争的「賞」とはややズレはある。

きょうは、こうした返事のようなことを書いてみました。
きのう夜に返信的にコメント欄で書いてみたのですが、
やや意を尽くしていなかったので、その部分を削除して
お答えになるかどうかではありますが、もう一度、内容を書き直した次第。
ただ、西方さんや木藤さんの提起自体はその通りだと思っています。
大いに北海道の作り手のみなさんは参加を考慮願いたいですね。

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