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田植えの芸能化

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写真は室町のころの田植えの様子。
日本の芸能って、ごく初期には朝廷内部で行われる雅楽とかが起源ではあるでしょうが、
基本的に民衆のものとして発展をはじめたのは
室町期くらいの地方の農業生産が上がってくる時期からのように思う。
人口で見ても、平安末期1150年ころの総人口が680万人。
そこから戦国を経て、関ヶ原1600年のころの人口が1230万人。
350年間くらいの間に、ほぼ人口は倍増している。
それ以前、800年ころの人口が550万人だから、人口の増加は急角度になっている。
<資料は鬼頭宏さんの「人口から読む日本の歴史」から>
こういうふうに人口増加が見られてくると、
主要な経済であるコメ生産を中心に、ゆとりが生まれてくるものか。
あるいは、田植えという、一種祈りを込める瞬間に対する「ハレ」感が強くなる。
そういうなかから、自然発生的に農耕儀礼化が進んだ部分があるのだろう。
写真のなかで、労働する人たちをはやし立てるように
扇子を広げてまるで踊っているような動きを見せている人がいる。
原初の姿としては、「田楽」というのはこういうものだったのでしょう。
1年の豊穣を等しく願う思いが凝縮して、
こういった肉体動作を、多くの人間が見続けた既視感が残って、
それを芸能民たちが定型化し、デフォルメして面白さに高めたのでしょう。
自分たちの日常的な動作をテーマにして、それが芸能に高められる瞬間を
たぶん、一般民衆ははじめて目にしたのではないか。
数少ない娯楽の瞬間としての「祭り」の場で
村の広場、多くは神社仏閣の広場で、こういった芸能が行われ、
多くの民衆の共感を勝ち取っていったのではないでしょうか。
多くの古典芸能の中に残されている人間の所作、
カラダの動かし方のデフォルメへのこだわりって、
共通言語としての、肉体言語として大きく育っていったものと思われます。
よく伝統芸能、能や狂言などで、昔の日本人のカラダの使い方が
典型的に表現される瞬間があって、
思わず身を乗り出してしまうほど、至当だなぁと手を打ってしまうことがあります。
田植えは、現代では機械で行われてそれこそあっという間に
終わってしまうものだそうですが、
あれをひとつひとつ手で植えていくというのは
腰も曲がってしまう、大変きつい動作だろうと思うのです。
そういう労働を、できれば浮き浮きと楽しく終わらせよう、
一種の祭事に仕立ててしまおうというのは、大きな知恵だと思います。
っていうことで、本日は勤労感謝の日です(笑)。
まぁ、わたしは勤労に感謝して仕事しているのですが(泣)
そこそこ家庭仕事をこなしながらの一日であります。
明日からは、ふたたび年末進行の作業が再開なんですが、
いっとき、歴史世界にひたっている時間です。
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