本文へジャンプ

戦国期北条家の政令

7777.jpg
写真は、歴史民俗博物館展示より。
いわゆる「楽市楽座」という新政策について、
中世的支配体制を破壊した「戦国大名」たちの立場というものがわかる。
北条といえば、最後まで関東の支配権を維持した
戦国大名の雄。
時代の読み取りにおいて、固陋な体制で対応できず
滅び去ったという側面が強調されているけれど、
この政令書では、世田谷に「新宿」を開くために
その地に「楽市」を開催することについて、認定している。
中世的な経済的既得権益を排除して
自由経済体制を推進する立場に立っている。
こういう文書から見れば、革新的な経済政策を推進していた。
織田信長が、楽市楽座を推進したというように
歴史の教科書には書いてあったけれど、
正しくはそういうものを、ほかよりも積極的に行ったくらいのことなのでしょうね。
たぶん、どういう政権でも庶民の経済活動の盛り上がりに
依拠せざるを得ないのであり、
経済の最先進地域、畿内地域に武権を樹立した
織田政権としては、ごく自然な経済政策だったということができる。
しかし、こういう政令書類は、
どういう主体が申請し、許認可を得たものか、
従来は許認可をする側の歴史だけが残されてきたけれど、
こういう経済行為は、庶民の側に主体があったことは間違いがなく、
興味深い部分ですね。
で、なんと、現代に続く市場の始まりが
こういう時代からのものだいうことです。
この「政令」文書を起源として、こんにちも「ボロ市」というのが
世田谷地域では行われているのだそうです。
そういう意味では、北条家の政策が今日まで継続してきている。
なんとも奥深い、経済の世界であります。
さて、きのうまで2日間、
建築家セミナー・相談会を開催。
これまで、建築家の紹介、というイベントという位置づけでしたが、
建築家のみなさんとも、有意義な話し合いができた結果、
より、お客様のニーズの把握、
その個別の状況にあった「相談会」重視の運営に変えてきています。
その結果、2日間とも、より具体的な相談プロセスになっています。
やはり、家を建てるのはあくまでも建て主さんということを
改めて実感させられますね。
まぁ、当たり前っていうことですが、
徐々に、方向性が明確になってくる。
事業というのはどんなものでも、やはり
やってみないと本当のところは見えてきませんね。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.