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変わった連中と都市人口〜カナダ住宅探訪_10

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さてふたたびカナダ住宅探訪。
高級住宅を見続けて、頭がドルマークで一杯になったので、すこし楽しくて変わった住まいを見たくなって、カンを働かせて探してすぐに見つかったのが、ウォーターフロントのエリア。
やっぱ、案の定むかしのヒッピーのようなひとたちの住まいを発見。
この辺は、古くから開けた港町で、倉庫なども多く、想像力を持った芸術家のようなひとたちが集まってきているんだそうです。この家は、そんななかでも水の中に基礎を建てている、できれば水上生活をイメージしたような住まい。
なんか、楽しくワクワクさせるような家なんですね。家自体はドルマークの感じられないシンプルなもの。
ひとの社会って、人口規模が一定を超えるといろいろなタイプが現れてくるんじゃないか、というような誰に聞いても???という反応が返ってくる仮説を実はわたし、信奉しているんです。
その理論、(っていうかあくまで仮説。なんの検証手段もないんですから)でいろいろ都市を見ていくと面白いことも見えてきます。
たとえば、なんで地方の中心都市って30万人くらいのが多いんだろう? という点。
私の身近な、北海道・東北で言えば、旭川・函館・青森・秋田・盛岡・山形・福島・郡山っていう、中心的な地方都市が判で押したように30万人前後なんです。
ひとによっては、「それはさ、それ以上発展しない、ってことなのさ」となんか禅問答のような答えが返ってきたりします。
前にNHKで、イスラムの古い都市の紹介があって、そこでの人口がちょうど30万人。城郭都市なので、面積は増やしようがなく、道路の面積が極限まで小さくされ、もちろん自動車などが入ってくる余地は全くない。
自動車がないのに、タクシーまである。?。  って人を乗せるんじゃなくって、荷物を頭の上に載せて買い物の品を家まで運ぶというタクシーなんですけどね。
ここで面白かったのが、人口が30万人になると、人間生活に必要な仕事が、だいたい現れるという哲学的な考察。ということは、逆に言えば、現代の都市というものの機能性は、30万人規模になって、ほぼ満たされるってことなのでは、ないでしょうか、ねぇ。(なんか仮説が説得力持ちそうで、ワクワク)
そういう意味で、日本の地方の中心都市の人口と符帳するものがあって、おかしい。
で、バンクーバーはゆうに100万を超えるビッグシティ。これくらいになると逆に、きっと普通の人間生活にはほとんど不必要な、「ちょっと変わったひとたち」というのも現れるんじゃないか、という仮説。
で、その仮説通り、ちゃんとヒッピーみたいなのが住み着いている、ということなんですよ。 どっちかといえば、わたしも多分、そうした人たちと近似した人間だと思っているもんですから、カンが働くんだなぁ、と同行したビジネスマンのひとたちにヘンな自慢になりましたが。
なんとなく、わかるんですよね。気持ちが。
ということで、みなさん、この仮説、どんなもんでしょうか?
なにを調べたらいいのかも、まだ不明というヘンな仮説なんですが、
やっぱ、おかしいかなぁ。

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