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個人主義的住宅の行方〜2

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一昨日からの続編であります。
いつも、現代住宅と古民家のいろいろなかたちの取材を同時進行で進めていて
その同質部分と、違いの部分に思いが集中してくるのです。
人間の住まいというのは、定住が始まったときから
普遍的に続いてきたものもあり、
そして時代によって大きく変化してきたものもあったと思います。
そして実感的には、日本に於いてはいくつかの
大きく変化したエポックがあっただろうと思います。
基本的には縄文がスタートした12000年前くらいから
ごく近い時期、たぶん、1200年代くらいから明治、戦前までの時期の変化と、
まったく質的にも違う変化が起こったのが、戦後、
それも大量生産・大量消費経済構造が進展した時期以降だったのではないかと思います。
資本主義の発展によって、
地方からの大量移住が、農家の次男・3男層に起こり、
大量の都市(周辺)移住の動きが大発生した。
それまでの「地域」に縛られた住文化、生活文化伝統とは
まったく異質な生成構造を持った「住宅地」というものが出現した。
それまでは、経済的な部分での結びつきの強い「共同体」が
人間のくらしの基本的な安定構造であり、
その共同体への帰依がなによりも最優先された生き方・暮らし方が
人間生活の規範とされていた。
先祖という存在がなによりも強く存在し、個人という生き方は、
一般的には、その概念すらなかった。
そうした日本人の規範的生活感があらかじめ喪失したところで、
となりに住む人と、なんの社会的関係も持たない居住という
たぶん、人類社会ではじめてと言っていいような事態が出来した。
こういう変化に対して、人間社会のモラルや規範というようなものが
多くの場合、希薄化が進行した。
神棚も仏壇もない「家」というものは、地域に根ざした社会では
ありえないか、中核的には考えられないのに、
そういった「家」が主流になった「住宅地」というものが
まるで蜃気楼のように、
大手デベロッパーという「旦那」のプロデュースによって成立した。
いや「成立」したかどうかすら社会学的な分析が必要なほどに、それは脆いものだった。
そこでの地域居住価値の最大のものは,都市中心部への移動時間距離という
およそ、その地域の文化伝統や生活規範とはまったく無縁な価値観だった。
そしてそこで作られた住宅には、その地域らしさというものは
ほとんど顧慮されず、あっても「地名ブランド」による「差別化」くらいしか
「その土地らしさ」は考えられてこなかった。
そういった形で成立した住宅(街)を、
わたしは仮定義的に「個人主義的住宅(街)」と呼んでみたいと思うのです。
地域文化伝統とは無縁に成立した住宅群だと思うのです。

いま、このように形成されてきた「住宅地」が、
そのアイデンティティを問われてきている。
少子化・人口減少社会の進展の中で、
人間社会の弱い環に、それがなって来ているのではないかという思い。
「地域」意識が形成されることがない地域に
生き延びていく道はあるのか、ということなのです。

あ〜〜、なかなか難しい袋小路で
たこつぼに入り込んだような気分であります(笑)。
しかし、その先にしか、これからの人間のくらしを見通す地平も
ないだろうと思われてならないのですね。

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