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熱田神宮 草薙剣に代わって

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熱田神宮って、なぜか「尾張国一の宮」ではないのであります。
あ、一の宮というのは、神社の格式序列のようなものでして、
確かに名古屋の北の方には「一の宮」という街があり
まぁ、地名通りに「真清田神社」という神社が「尾張国一の宮」になっている。

祭神は天火明命(御本社)天照大御神の孫神。
当社の鎮座は、社伝によれば神武天皇33年。
古代悠遠の当国の開拓と日を同じくするものと伝わっています。
文化は古来、大河の流域に発達するといいますが、尾張国一宮の文化も、
木曽川の流域とその開拓によって開けたものです。
当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、
神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。
鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。
その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。
江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りました。
また、尾張藩主徳川義直は、
寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。
明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けました。
戦後は、一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、
尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。

ということなんですね。
で、名古屋にある熱田神宮は、「尾張国三宮」ということになっている。
まぁなぞですね。
熱田神宮には、天皇の三種の神器のひとつ草薙剣がご神体とされている。
そのような「一宮」「二宮、三宮」というような社格を競うような必要がない。
そんなことから、あえて別格として扱ったものなのか、
まぁよく経緯はわかりませんね。
しかし、この草薙剣は、「この神宮に置かれている神器」というだけで、
その存在自体は不明であり、
そのようなことを詮索すること自体、はばかられることなのだそうです。
なにやら、神代のことであって、
そうした神聖な霧の中のようなのであります(笑)。
神職には、「ぜひ見たい、レプリカでもないものか」という
問い合わせもあるんだそうです。
しかし、畏れ多くて答えられないというところなのでしょうね。
代わりに、といってはなんですが、
「宝物殿」には、超巨大な剣が展示されておりました。
写真下は、この長い刀と普通の刀が比較のために展示されている様子。
で、越前朝倉氏の家臣が
実際にこの長刀を戦場で使っている様子の絵巻物の一部が上の写真。
すごい。
振り回せないくらいですが、まぁ敵も身震いしたのでしょうね。
この刀が戦争の戦勝側、織田側の神宮に置かれているのは、戦利品のひとつだったのでしょう。

なかなか、この熱田神宮、見どころ満載でしたので、
何回か、ご報告させていただきます。

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