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下北半島まで

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青森県はご存知のように大きく3つの地域に分かれています。
人口密集度でいえば、津軽地方・八戸南部地方とは比較にならないけれど、
「むつ」市を中心にした下北地域も独自性を持っています。
ただ、どうしても津軽や南部に比べて、
訪問する機会は限られてしまう。
とくに出張などで訪問している人間には、やや縁遠い。
青森市内の人に聞いても、「むつ、遠いよ」という声が聞かれて
そうか、遠いんだ、と諦め続けておりました。
青森県地方は、古くは縄文時代まで人跡をたどることが出来る地域で
遺跡も石器時代まで遡れるという亀ヶ岡、靑森市内から発見された三内丸山、
太平洋岸では、先日のブログでも触れた、まるでタイムスリップしたかのように
保存状態が良好な是川遺跡などなど、きわめて豊か。
ということは、人間の生存にきわめて好環境であったことは疑いありません。
その後も、県内至る所でアイヌ語地名が散見されるように
北海道島からの移住民も多く痕跡を残している。
異民族制覇のためにこの地まで遠征してきた坂上田村麻呂の伝承から
「ねぶた」の起源も起こったとされるように、
歴史そのものが多くの事実に突き当たる地域性を持っている。
そういうなかでも、下北半島部はまるで取り残されたように
痕跡もほとんど知られていない。
たぶん、恐山の民間信仰くらいが日本の歴史に関与しただけだったように思います。
その地に、明治維新戦争の敗者である会津藩が、
追いやられるように移住を強制されて入っていった。
コメは採れず、山林は豊かだと聞かされたけれど、
来てみたら、まったく利用は出来なかったというのが現実だった。
そういう苦難の歴史がここ百数十年積み重なってきた。
そしていまも、多くの原発や六カ所の関連施設などに立地を提供してきた。
国が求めた無尽蔵なエネルギー生産を引き受けたけれど、
その豊富なエネルギーの受容者たちから、
掌を返すような視線を浴び続けている。
会津の苦難はいまも続いているのではないかと思わされる。

まぁさすがに時間はそんなにないので
ほとんど通りすがりという感じに近いのですが、
クルマで往復してみました。
なんとなく、稚内にいくような感じですね。
半島地域で、風が強いというような雰囲気がそう感じさせるのでしょうか。
地域振興策や原発立地によるさまざまなお金が落ちているのでしょうが、
なかなか地域としての活力のようなものは感じられました。
神楽や能楽などの定期公演も行われているそうで、
むむむ、見に来たいなぁ・・・。
ということで、時間を見つけてぜひ再訪したいと思いました。
さて、そういう日は訪れてくれるでしょうか?

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