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本間家の残照

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江戸の時代というのは、商業資本の蓄積期ともいわれます。
今日に続いてくる財閥系の資本蓄積が進んだ時期でもある。
三井とか住友とか、大商家が育ったといわれる。
その経済的な利権のなかで大きいのはやはり北前の経済。
そのなかで、庄内・酒田の本間家は
地域に根ざした大商家として著名といえますね。
「本間さまには及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」という謳いが自然だったという。
酒田で、その栄華の残照を見てみたのですが、
とりわけすごいのが、この別荘住宅。
昭和天皇か、大正天皇かどちらかが、即位される前、皇太子の時に
この別荘に来られたことがあるそうで、そのときに
2階を増築し、庭園を整備したということだそうです。
まことに、庭園は結構を尽くした造作で、ただただ、感嘆のため息です。
この庭園建築は、公共事業の側面も持っているということで、
飢饉などで、庶民が苦しんでいる時期に、
この庭園建設を進めることで、地域に仕事を作って経済を支えたそうです。
まぁ、大金持ちにしてみたら、きっと、打ち壊しの恐怖との兼ね合いで、
そのような施しをした方が身の安全だと考えたものでしょう。
ただ、すべてのお金持ちがそのようにしたわけではなかっただろうから、
篤志の志は、持っていた家系なのだろうとは思えます。
というような背景でこの建物を見てきたのですが、
日本の高級建築の基本は、庭園との関係性というものが圧倒的なのだと
あらためて思わされますね。
この家でも、遠く鳥海山を遠景の借景として、
築地塀で仕切られた内側は、満艦飾の植栽デザインで埋め尽くされています。
贅を尽くす方向が、石とか、植栽というものに向かっている。
建築というのは、そういう庭園への眺望を最善のごちそうと考えて作っている。
明治の初年に日本にガラスがもたらされてすぐに
庭園への開放的な眺めの得られる開口部全面にガラス建具が入れられている程度。
あとはひたすら調度の豪華さで勝負する。
そういう意味ではここちよい夏の過ごし方は見えてくるけれど、
やはり冬は防御的にやり過ごすものと考えている。
こういう大金持ちのみなさんでも、
決して得られなかったような冬の心地よさというものを
現代のわれわれは、享受することが可能になっているのですね。
しかし、まだ、そういう価値観に鈍感なひとたちも多い。
ユーザーばかりではなく、建築を作る立場の人でも少なくはない。
そんな雑念も起こってくる豪華さの、別荘でした。

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