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貞観地震からの復興って?

きのうの続きであります。
今度は農水省関係の発表から。
今回の大震災では広大な農地が海水で冠水し、
その結果、農作業には不適な塩分濃度になったことで、
「除塩」が試みられてきているのですが、
これはかなり順調に推移しているということのようです。

この報告を聞きながら、
今回の被害と近似しているといわれている貞観大地震のことを想起していました。
貞観地震は869年に、大津波を東北地方にもたらせた大災害。
その5年ほど前には、富士山が大噴火を起こしている。
そしてこの地震と相前後する時期は、全国的に寒冷化して、
農作物が甚大な被害を受けて、政府の穀倉から民衆救済のために
配給が行われた記録が残っています。
その当時、秋田城では対北海道との交易活動で
政府の現地副官が私腹を肥やすことに邁進していたようで
「渡島荒戎、秋田を襲う」という正史への記述もある。
で、その後、878年というから、地震から9年目になるけれど、
秋田で「元慶の乱」といわれる住民反乱が巻き起こる。
そのときに、陸奥の国、貞観地震で大きな被害を被った地域からの
政府軍の派遣が、なかなか行われていない。
太政官政府からは、なんども督促が繰り返されているのだけれど。
たぶん、大津波によって農地が壊滅的な被害を受け、
同時に寒冷化した気候条件によって
地域全体が相当のダメージを負っていたことが、容易に想定できる。

東北地方は日本国家によって最後に征服された地域だけれど、
本来、寒冷な気候地域であって、
必ずしも米作の適地地域とはいえない。
であるのに、日本の国家機構は米作を根幹とする生産活動を強制する。
郷村制で人民を縛り、あるいは荘園というかたちの奴隷制度で、
人民を抑圧し続けてきた。
そういった政府の強制に対して、東北の民衆は繰り返し反逆を試みてきている。
この貞観地震に際しても、このような社会要因が存在した中で
さて、農地はどのように再生されていったのか?
最近の発見では、旧街道の位置が、このように繰り返された
大津波からの回避ゾーンギリギリに存在しているという発見が見られる。
知恵は、結局昔の人も同じようなことを思案したのだと教えてくれている。

農地については、
別の、塩害に強い作物を栽培したり、
それを連作にならないように気遣いながら実施していったのでしょうね。
息の長い、民族の知恵を掘り起こしながらの
「復興」のプロセスですね。

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