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戦後日本社会の「住宅政策」

ロシア革命のころ、
アメリカ資本主義のお金と権力を握っていたひとたちは
奴隷制度大国であることから、恐怖を抱いていたそうです。
きっとああいうように革命がやがて起こって
自分たちの既得権益が侵されて行くに違いない、と怖れた。
で、どうしたか。
労働者たちを、あたかも資産家であるかのように錯覚させる仕組みを考えた。
自分たちも持たざるものではなく、持てるものだと認識させたかった。
そこで考えられたのが、「持ち家」制度なのだという説がある。
労働者にも、住む場所は必要で、
工場や会社の近くに「勤労住宅」が建てられて、それは
主に賃貸住宅として提供されるのが一般的だった。
それに、擬似的な「資産性」を持たせて、
「持ち家」志向をあおって、「ほれ、お前もアメリカンドリームが可能なんだ」
というような錯覚装置として利用した。
ありよう的には賃貸住宅とそう違いがない住宅を個人所有とした。
本来資産たる住宅とは、金持ちの住むような邸宅だったり、
もっと大きい意味では、生産価値のある大農場の付いた大農家住宅のことだった。
都市の集住性の高い住宅は
労働者として務めるために必要な休養を得る装置なのであって、
本来的に資産としての価値が高いものではない。

欧米での中古住宅流動性の高さを見れば、
住むための住宅というものは、社会資産という意味合いの方が強いのだと思う。
欧米ではおおむね土地の造成と建売が新築住宅販売の基本で
そういう意味では、街の中のたたずまいも総体として購入するのが一般的。
デザインといっても、ある程度の社会的常識の範囲で許容範囲の了解が存在する。
スターターハウスは初めて家を持つ世代のためのものであり、
それを売って、次のミドルクラス住宅購入を目指す。
住宅といっても、その「たたずまい・ステータス」を基本的に購入しているので
庭木や緑が豊かになればなるほど、言いかえれば古くなればなるほど価値が出る。
そしてやがて、わらしべ長者のように、人生の上がりとして
資産価値の高いハイエンドの住宅を手に入れる。
人生の成功者としての喝采を浴びながら・・・。

こういうシステムのごく一部を導入したのが、戦後社会の日本。
労働者に持ち家の夢を与えることで、都市への人口集中を計ってきた。
江戸までの社会が、生産手段付きの土地の争奪を基本とした競争社会だったので、
日本人には土地への抜けがたい執着心があって、
都会のなかの猫の額のような敷地にすら、強い執着心を持った。
上物はまぁ、そういう事情から基本的には「住めればいい」ということだったのだと思う。
大量に、それも一気に建てまくる、ということで、
生産手段に近い立地条件の土地に新しい街が造成され、
大量生産を担うハウスメーカーシステムが稼働した。
こういうプロセスを見れば、それが資産としての生産を目指したものでないことは自明。
基本的には、こうしたありようは、町家建築の一変形ではないのか。
あるいは、マンションなどは、現代版の長屋なのだと思う。

現代日本で建てられているような個人住宅って
それが「資産」になる、というようには建てられたり、維持されたりはしていない。
本当の資産形成なのであれば、本来日本の中古住宅流通はもっと活発になるはずだ。
戦後すぐに宅地開発されたような中古住宅は、
立地条件もいいはずだから、もっと高値で取引されるべきなのだ。
ところが、けっしてそのように活発化はしていない。
土地の値上がりがあった時代までは、それでも土地が上がったから
それなりのゲインが得られたけれど、
そうした場合でも、上物は壊して更地にして取引するのが一般的だった。
いまや、土地の値上がりはありえない状況になって久しい。
地方都市では、右肩下がりに土地価格は下がってきている。

さて、こういう「住宅政策」が事実上行われてきた日本で、
今後、住宅はどのようになっていくのだろうか?
まとまりきらないのだけれど、こんなことが頭のなかを駆けめぐっています。
時々、立ち止まる瞬間がある・・・。

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