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宗教装置と木組み

写真は、五百羅漢があるという盛岡の報恩寺の建築木組みの様子。
これは年代って、いつころなのか、
江戸期創建と伝えられていますが、
宗教施設というのは、東大寺の初めから、
こういう木造技術の粋を見せるというのが定番になっている。
日本では権力と不即不離の関係の中で
「この世の物とも言えないような」装置を作り上げるように動員された。
いまでも、宮大工は一般の住宅を建てたりしない、
というような伝統があって、そういうあたりの消息が伝わってくる。

それにしても、どうしてこんな複雑精妙な造形を
繰り返し繰り返し、造作していくのでしょうね。
宗教の語る世界観を表現するものの一環である、というふうに
こういった建築は言えるのでしょうが、
それにしても、こういう木組みが釘一本も使わずに
組み物として出来上がっているという
そういう手業文化ということへのこだわりはすごい。
見ている方にしてみると、
ここまで複雑で巧緻なものを見ていると
曼荼羅のような輪廻転生を予感させるような気も確かにしてきますね。
現代の社会では、
こういう日本の神社仏閣の類が果たしてきた
精神的役割について、
追体験できるような機会は薄れてきているけれど、
知ろうとすればするほど、
やはり宗教概念への知識が必要になってきますね。
学問すらもも宗教とは不即不離だったのですから、
なかなか奥行きが深くなっていきますね。

さて、ようやくいまの仕事が
来週火曜日には一段落であります。
頑張らねば、っていうところ。

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