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幾春別、という地名

このタイトル、みなさん読めるでしょうか?
きのうもこの文字を書いたのですが、
わたしはずっと前から知っているので、
なんどかパソコンでも書いたことがある地名。
幾春別、と書いて「いくしゅんべつ」というふうに読みます。
北海道空知郡三笠市の一地名です。
きのう書いたとおり、石炭が産出して
炭坑が開かれ、一時は多くの人が住みついた集落だった。

わたしの母親は、この付近の生まれで、
聞くともなく聞かされた言葉の端に、この幾春別という地名が
散りばめられていた。
幼い頃、この地名を母の口から聞いていたとき、
なんというステキな語感の町なのだろうと
まるで宮沢賢治の小説のなかの地名のように感じて
ロマンチックな思いを抱いていた記憶があります。
やがてそれが、アイヌ語に起源を持ち、
「イク・シュン・ペツ」というように分節されて
意味をなしているというところまでは、わかっているのですが、
しかし、それ以上に語感のすばらしさに酔っていた自分がいます。
そしてそれと同等の思いとして、
その読みに、「幾春別」という漢字を当てたセンスに打たれます。
いくつもの春の別れ、っていうように意味をなしたとき、
もうそれだけで一編の詩のごときものではないか。
明治の開拓期に、この地を開拓した人たちが
アイヌの人々に地名を問い、
答えられたコトバに、このような韻のある字を当てたものでしょう。
いまとなっては、その地名を書いた人の名もわからないのでしょうが、
いつもこの地名を口ずさむ度、
ある熱さを感じている自分がおります。

この近くには芦別があり、
そこ出身の建築家・石出和博さんの集落地名「野花南」もすばらしい。
こう書いて、「のかなん」という風に読む。
どう考えてみても、フランスの綺麗な田舎を想像できるような語感。
そして、当てた字もすばらしい。
野の花の南、なんとも物語性が一気に情景として浮かんでくる。
明治の人たちの感受性の美しさに深く打たれる思いがします。

遙かな後年になって、
昭和の札幌オリンピックの頃に開通した地下鉄駅に
「平岸霊園」という駅名がありました。
札幌市営だったので、命名者は札幌市の交通局あたりなのでしょうが
こういう名前を平気で付けて疑問とも感じなかったひとがいたのですね。
札幌の人間として、ひそかに恥と感じていたものです。
その後、住民からの苦情からか、
「南平岸」と名称変更になったのですが、
日本人の言語感覚の鈍磨ぶりは、
時代とともに激しくなっていっているものかも知れません。
明治初年の頃、この地域で義務教育はそれほど普及していたのかどうか、
はるかに教育レベルが上がり、そこそこの教育も受けた人間が
名付けたに違いないのに、
この彼我の落差は、いったいなんなのでしょうか?
やや、進歩と教育の方向性に、不安な気持ちが湧いてきます。

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