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狩猟採集生活の社会

天塩川河口地域っていうのは、
同じ北海道にいながら、一度も見に行ったことがありませんでした。
まぁ、稚内には2回くらい行っているけれど、
いつも内陸側を通過していたか、
あるいは通過したとしても、ほとんど記憶していないか。
そんな印象の確かでない地域でした。
で、最近、調べていることの調査地点として欠かせないので、
日曜日、早朝に起きて見学してきました。
いやぁ、北海道も広いということですね。
こんな地形の場所があったんだと
あらためて発見させられた次第です。
天塩川というのは、最後の河口付近では、
大きな汽水湖のような様相を呈していて
ちょうど、青森県津軽半島西部の十三湊にそっくりなんです。
実際に、天塩はシジミの産地として著名と言うことで、
共通点は多い。
本州島最北端西部と、北海道島最北端西部に、きわめて似た地域があるのですね。
天塩、という地名はテシウという古地名への当て字ということで、
アイヌ期はもちろんでしょうが、
それより以前の、檫文時代の住居痕跡がたくさん残されている。
汽水湖状の地形は、相当延々と繋がっており、
天塩町の北、幌延町にはオトンルイという遺跡があって、
ここには800軒もの竪穴遺跡が残り、さらに
リアス状地形が段丘地形に展開しているそうで、
生活状況としては、一軒にそれぞれ移動用の船付き場があるような
そういった暮らしぶりが見られると言うことだそうです。
十三湊は、日本海交易の北方拠点として
中世には大変な賑わいぶりを見せていたということですが、
この天塩も、まったく同様の地勢的な位置にあるということが言えます。
基本食料としては、秋になれば海と川を満たして遡上するサケが
考えられ、狩猟採集時代の人間居住条件としては
きわめて優良な環境であったと思われます。
そして、この北方にはサハリンがあり、
交易の拠点としても、古代にまで連なってくる歴史が想像できる。
縄文時代の生活適地は、むしろ北方日本であったとする説が多いのですが、
さもありなんという、そういう認識を持つことが出来ます。
ただ、狩猟採集の社会では文字記録を持たない。
そういう意味で、痕跡はなかなか体系化しにくいと思いますが、
日本に編入されてからの歴史は確かに少ないけれど、
一方で、大陸やサハリンとの関係は
日本社会の比でないレベルで活発だったに違いないと思います。
そういった想像力を刺激させる光景でした。

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