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【日本の大空間木造建築 能登・總持寺祖院】



どうもわたしのブログ、時事ネタの方がかなり反応が大きい(苦笑)。
時事ネタはたまに気付きの大きなことを書くのであり、ブログ全体では
それがメインの興味分野とは言えないこともあって、
自分では中庸を考えて書いているつもりであります。
どう受け止められても構いませんが、先進国対中国という図式は長く続きそうだし
日本の地政学的位置は世界全体でも非常に重要になってくる。
主にそういった世界情勢の巨視的視点から
今後も、折に触れてチョコッと書きますので、よろしくお願いします。

さて、本来の建築・住宅ネタであります。
先週土曜日にも造作家具撤去で知人の大工さんに作業してもらっていました。
で、かれはわが家の玄関で第2のいのちを繋いでいる
北海道内の寺院建築建て替え・解体材としての木彫造作にしげしげと見入っていた。
木を扱っていく仕事として、大工さんとしてはその「一木」造作ぶりが、
いかにも強い関心興味を惹くのだなぁと再確認。
そういえば、先日ブログで紹介したこの木彫造作には、たくさんの来訪者が
強く関心を持たれるようです。ながく用を果たしてきたものには存在感がある。
寺院建築には日本人社会の永い民族的な情念と魂が籠もっている。
神社仏閣の方が、政治軍事的な建築よりも遙かに永い歳月と愛着を刻んでいる。
ことしは頻度が大きく減りましたが、仕事で関東・東京に出張する機会が多く
その折りには不思議と交通の便その他から、鶴見が定宿になる。
というか、一度鶴見に泊まったら朝散歩で「總持寺本院」が近くにあって、
朝勤(ちょうぎん)と言われる僧侶たちの毎朝の集団読経を拝聴することができる。
管主とおぼしき方の読経と調和する音楽的声明(しょうみょう)が浄土を感じさせる。
この集団読経の挙措動作、声明を身体で受け止めると、強くとらわれ、
以来、ほかに特別用事がない限りは、鶴見が定宿になった経緯があります。
JR鶴見駅からほど近い一山全域が寺域になっているようで、
堂塔伽藍がみごとに配置されていて、わたしのメンタルに刻印されております。
その總持寺、実はもともとは能登にあったものが火災消失し、横浜鶴見に移転した
という故実を知って、火災後再建されたという「祖院」を旅の機会に訪れた。

日本はアジア世界で普遍的に普及した仏教を、国家鎮護思想として
歴世の天皇権力が尊崇し、社会の隅々にまでその「功徳」が行き渡った。
この總持寺は曹洞宗の本山であり、禅宗の一大本山として存続してきた。
現在の祖院は建て替えですが、鶴見の本院とも
伽藍配置、本殿の様子など建築的には非常に似通っている。
たぶん、もともとの設計図が伝承され火災に遭っても記憶の残っている時期に
再建され続けてきたことで、創建時の骨格デザインが踏襲されている様子が
非常に良く伝わってきます。
これだけの建築群なので専任の「宮大工」が代々、守りをしてもいるのでしょう。
とくに3枚目の拝殿施設は鶴見での朝勤広間と瓜二つ。
手前側の石敷きの土間部分が鶴見の方が広く、広間の奥行きも広くは感じますが、
雰囲気はまったく同様だと思います。
アジア世界のなかでも日本ほどこうした神社仏閣が保存され、
衆生の「公共空間」が維持され続けてきた国家社会は珍しい。
こういう空間が、日本民族のDNAになにごとかを刷り込んできたのでしょうね。

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