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【日本の「うた」 誌的表現性と音楽性】

本日は休日につき、ちょっと自由テーマ。
というか、常日頃感じている疑問がありまして、
日本社会の歴史はそれぞれの分野で解明が進んでいて楽しいけれど、
どうしても解明しにくいモノとして「音楽性」があると思います。
楽器はモノが残って、その再現音を聞けば
ある程度は、その当時の「音楽体験性」は確認できると思う。
宮中雅楽などはリアリティがあるのでしょう。
しかしどうも「詩文」のような表現、それも「音楽的」韻も踏んでいるものが、
実際にどのように発信されたのかは、解明されにくい。
現代であればさまざまな「演出」が仕掛けられイメージ性が深められる。
一般的に、日本語のリズム感は5.7.5.7.7という単音配置が多い。
イマドキの発音でも、やはり基本はこの原則に沿っていると思う。
で、そうするとそれを朗々と発音するとき、音楽性に配慮しないわけがない。
いまに残る神道での「祝詞」や、仏教での声明〜しょうみょう〜、和讃など、
独特の「聞き心地」への配慮が非常に強く感じられるので、
こうした和歌などの詩文にリズム・メロディ・ハーモニー的な要素が
なかったとは到底考えにくい。

「熟田津〜にぎたづ〜に、船乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」

額田王の「歌」としてまことに有名なこの歌。
熟田津で船に乗ろうと月の出を待っていると、月が出たばかりでなく、
潮も満ちてきて、船出に具合がよくなりました。さあ、今こそ漕ぎ出しましょう。
という行動への「情動促進」を強く感じ続けています。
天智と天武の両帝と男女関係があったとされた女性だけれど、
この歌を始め多くの歌の詠み手として万葉集古代文化史を彩っている。
この「熱田津」の歌は古代日本が朝鮮白村江に百済救援の軍勢を出兵の頃。
出陣に際し、瀬戸内に面した四国道後温泉のそばの港に集結した
兵たちの前で宮廷歌人としての彼女が朗々と歌い上げて、
兵たちを鼓舞した歌だという説がある。その説に共感を持っている。
歌詞としては5/7/5/7/7(8)という和歌の仕立て。
この歌を即興でか、あるいは事前に演出を考えた上で出征イベントの
掉尾を飾るような形で、クライマックスに持ってきた「檄文的仕掛け」なのか、
いつもこの発出シーンを想像たくましく、イメージしたいと目を閉じてみる。
かがり火が盛んに焚かれた広場、この世とは思えないイベント装置のなか、
この歌は、美しい神子による檄文として兵たちの心に火を点けたのではないか。
古代における「鏡」の使い方を知れば、古代権力の祭政一致仕掛けは自然。
数万と言われる軍勢が、その陶酔感を胸に刻んで、海峡を渡っていき、
そして白村江で無惨に死んだのだろう。
いまはその「音楽性」は記憶から失われたが、朗々と彼女は「歌い上げた」と思う。
その出征イベントの「陶酔感」を知りたいと強く思っている。
額田王と言う存在は、帝の妃というよりも、
ある種、アジテーター的に「芸能」の術を身に付けた存在だったのではないか。
後の世で「かぶき者」とでも呼ばれるような存在が、日本社会には
連綿として伝統があるのではないかと夢想しているのです。

まことに「トピズレ」でありますが、
こういう「妄想」をかねてこころに抱き続けております。ヘンかなぁ(笑)。

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