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【江戸期に「不毛の地」だった森林緑地】

関東を走っていると、突然そこそこの緑地を発見することができる。
北海道のような広大な大自然の中では意識することはないけれど、
一円住宅やビル群が密集している地域では、こういった「自然林」のありがたさが
突然響き渡る「自然の呼び声」として印象に残る。
そういうオドロキを感じさせられた森のひとつが以前行ったことがある
神奈川県相模原市の「こもれびの森」、正式には相模原中央緑地です。
たまたま用事があって周辺を訪れたのですが、迷宮のような緑地に
思わず吸引されてしまった。別に北海道にはたっくさんあるっしょ、ですが(笑)。

周辺は住宅地や大学病院などがあるのですが、
市街地の中に忽然と出現する様は、なんともミステリーゾーン。
で、思わず周辺の駐車場を探して、クルマから降りて歩いてみた次第。
わたしは札幌にいるときには円山自然林を毎朝散歩しているので
どうもこういうのに出会うと、身体的に反応してしまう。
歩いてみると、クヌギとかコナラなどの広葉樹主体の森。
まことに多様な樹種があって、北海道札幌の森とはまったく違う森林。
また足下には多様な微生物や虫たちの存在感が感じられる。
下草の類も多種多様密生という感じで、「武蔵野」という一般地名は、
こういう樹林のことを言っているのだろうかと、頓悟させられる。
しかし、あまりにも迷宮的で駐車場に戻ってくることは難しそうだったので
あんまり深入りせずに、じっと深呼吸しておりました。

WEBで調べてみると、この森は「水利」が悪くて、江戸期までは
農耕作地に適さない「ヤマ」、周辺農民の「入会地」として
炭焼きに利用されるような場所だったようなのです。
たぶん農地に適していないのだろうなという直感的判断をしていたのですが
正解だった。
司馬遼太郎さんの著作では、日本はなんとか台とか、丘陵地などの
なんとかが丘というような土地は無価値としてきたとされる。
幕末明治になって、西洋人が横浜や神戸などに住むようになって
かれらが好んで「高台」に住む様子を見て奇異の念を抱いていたとされる。
日本人がそれまで好んでいた「土地」とは、なんとかが谷とか、なんとか田という
水利の良い河川周辺地域、多くは低地だったとされている。
米作農業、田んぼが最高の定住地域である生活文化からは
高台とか、水利の良くない土地などは、どんなに人口集積地でも
歴史的にそれほど利用されなかったと言うわけです。
そういうことの結果、現代に至るまでこのような森林緑地が保全されてきた。
同様の地形ポイントである千葉県印西市に行った経験もありますが、
あちらもつい最近20年ほどで都市計画が始められた地域だそうですが、
地形的に丘陵地で、江戸期までは「狩り場」として軍事演習林だった。
水利がなく井戸を掘ってもなかなか水が出なかったようなのですね。

そういった緑地が現代に至るまで保全されてきて
今度はエコロジー循環環境のような場所として子どもたちの環境教育に
大いに利用されてきているということです。
人間社会と自然環境の有為転変、輪廻転生を思うとオモシロい。

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