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【北海道民は「新・日本人」ブレンド実験室】

東京育ちの読者のNさんと【開拓の明治を生きた個人の生き様・万華鏡】
の投稿をめぐってコメントのやり取りをさせていただいた。
SNS時代というのは、こういう深掘り「対話」が比較的容易。
どんな内容だったかというと、開拓での先住の人々と日本社会の出会いで
融合と噛み合わない部分が生じたと思うのですが、
それに絡んで、伝統的ムラ社会が存在した日本のほかの地域と比べて
そういう「繋がり」からの断絶以降生成された「北海道民性」について
「共同体がどのように形成されたかは私には全く知識がありません。」
という感想をいただいた。 そうか、であります。

日本及び日本人を永く追究した作家の故・司馬遼太郎さんも
「北海道からどんな人間が出てくるのか深く興味がある」という言葉を遺した。
北海道にいる人間は、このことは自分たちの社会のことなので
客観的に対象把握することはたしかに難しいし、
他の地域の人からは、このように「想像を超える」部分もあるのでしょう。
これはやはりわたしたち北海道人が自ら省みて考察する以外ない。
けれどもこれは北海道と「日本社会」共同での結果でもあるので、
因果関係の探索には、相当の省察が必要なことは自明。
いまわたしが取り組んでいる「北海道住宅始原期の探究」もそのなかの
「住」という大きな一部を構成もしているかも知れない。
たぶん北海道が日本社会のなかで占めている現在の位置・結果から
その成果物を通して考察することが「北海道らしさ」探究には必須。
住でいえば日本的な通風優先的住宅伝統にはきれいさっぱりとお別れして
まずはしっかりと外気と遮断された空間を確保した。
その手法を開発しその環境に慣れ室内気候をコントロール出来てから、
外界とのあらたな感受性を考えはじめていると思う。
っていうか、まだまだ人口密度がまばらなので、
そうやって獲得された「制御された空間」から視線としての外界を見ても
まだまだ自然は豊かに存在し続けているということ。
「朝日とともに目覚める」
「豊穣に落ちてゆく夕陽をゆったり眺めて暮らす」
みたいな暮らし方がまったく自然に獲得できる状況がある。
札幌のように都市化が進んでいる地域でも、まだ自然は力強く潜んでいる。

そういう自分が関わっている領域での足下をしっかり確認しながら、
「北海道人」という共通風土性、人間類型としての特徴もまた、
明瞭に浮かび上がってきている部分はあると思う。
「こだわりのなさ」というのも、ひとつの特徴であるかも知れない。
150年ほどの時間積層なのに、コトバも方言が育ってもいる。
またそれこそ日本各地からの「地方性のブレンド」であることは明らかで、
その意味では東京と同一の組成ではある。
日本の他の地方のなかでいちばん近いのはどうも東京ではないかと思う。
東京のブレンド組成を密集型ではなく超・分散型に配置するとこうなるみたいな。
また北海道の中でも色合いにはグラデーションがある。・・・
そんな気付きを持って少しずつ探究してみたい。

<写真は日本最初の自然公園・札幌「偕楽園」。造園された木でない自然林>

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