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【自分の住んでいる地域の歴史を知る】


いま日本全体が気候変動期に突入してきている。
明治以降、いや戦後70数年間比較的に気候安定期だったことから
それを「常態」と考える「平和ボケ」みたいな意識が日本人にある。
だからよく「想定外」というコトバが交わされる。
堤防などの「備え」についても安定期の常識に基づいて基準想定している。
しかし、もう少しビッグスパンで見れば、
まったく違う見え方があるのだということに気付かされる。

ここのところ、明治初年前後の歴史の掘り起こしをしている。
その前史としての地形変動なども下地として調査している。
大きな「気候変動」が波動として地域景観を大きく規定していることがわかる。
図とジオラマは札幌中央図書館にある「埋蔵文化財センター」展示。
基底的な標高図と、地形の成り立ちが色分けされて、
それにあわせて人文的な「遺跡」がマッピングされている。
先日のブログ記事で「古石狩湾」という6000年前の地形認識をもって
こういった図を見返してみると、いろいろな気付きがある。
おおまかに札幌は比較的高地と低地が、ほぼ函館本線で区画されている。
明治の初めの鉄道敷地選定は、非常にしっかりした基準でされていると
最近の水害などで気付かされているけれど、
こういった明治の先人の「知恵」に大いに学ぶ必要がある。
そしてこの地で暮らしてきた先住の旧石器、縄文、続縄文、
擦文、アイヌといった人々の「生業と安全」の臨界であったに違いない
遺跡痕跡からも多くのことをうかがい知ることができる。
まずは水の確保、そして食資源とのアクセス、(水上)交通の確保など、
人間の基本的な生存条件に対して適合的であることを教えられる。
古札幌の地で、先人たちの暮らしように思いをはせると
今の生き方を考えていく起点を提供してくれていることが伝わってくる。

きのうも、150年前・明治2年のほぼこの時期に小樽市「銭函」に
札幌入地前の段階で数ヶ月、開拓使判官・島義勇が居遇した地を探した。
記録では「白浜さん宅」を借りて「開拓使仮役所」としていた。
数ヶ月とはいえ、国の中央省庁同格組織の「役所」であります。
なにがしかの「よすが」が遺されているのではと思ったのですが、
いまのところ手掛かりはありません。
その帰路、島義勇が数ヶ月「通った」札幌創成河畔への20kmほどの道程を
そのように意識しながら地形の高低などを注意しながらたどってみました。
なにげなく見ていた光景が再発見に満ちた情景として
見えてきておりました。楽しいライフワークです(笑)。

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