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【皇居という特異な日本の「文化資産」】

写真は大嘗祭の皇居・竹橋から見たお濠。
江戸という街は人工的に作られた都市。
マザーになった集落というのは、太田道灌という武家が
その前身を形作ったと言われているけれど、徳川家康が入地して
関東全域の支配を固めるために都市経営をはじめた。
小田原という関東でもいちばん東海地域に近い軍事上の要害地では
全関東の中心地としては西に偏りすぎているし、
その後の「経済発展」のためには水運の豊かさが必須だった。
といった秀吉政権からのアドバイスがあったとされる。
俗に言う、小田原戦陣での秀吉と家康の逸話が有名ですね。
こういった中核都市建設については最新の事例は札幌。
日本史は奈良の都市造りから京都や大阪、江戸を経て
はるかに新開地北海道・札幌の創造へと至っているのだと思います。
いちばん新しい大都市開発で札幌には情報痕跡が多い。
日本社会はどう都市建設するか、その証拠が札幌には身近に存在する。
またそういう大都市造営の直近の先例・首都東京にはヒントが山ほどある。
そのなかでもとくに皇居の占める文化的位置関係が特徴的。

江戸・東京の場合、中心施設が明瞭。
現在の皇居、最初は徳川将軍の本拠地がすべての起点になる。
最初は大土木工事が行われ、巨大なお濠を持つ巨大城郭が誕生した。
その巨大なイレモノにまるで真空のようにいま、自然が回帰する。
いったんの大土木工事を経て成立した大都市の街区のなかに、
広大な緑の領域が広がっている。
世界の宮殿建築空間の中で、面積的には最大に近いのではないか。
自然崇拝型の最古級古代権力として存続している
日本の皇室という存在は世界で稀有な「文化資産」だと再確認できる。
土木工事の末の「回帰する自然」を日本は「崇拝」しているともいえる。
憲法第1条には天皇の条項があるけれど、
「統合の象徴」ということの意味合いは深まっていると思う。
世界標準からすればきわめて異様な存在ではあるけれど、
現代世界では特徴的な文化資産という側面が非常に強まってきている。
とくに分裂と対立が強調されるようなIT文明下では、
こうした「国民統合」神話を意図的に継続する国家意志というのは
現代で陳腐化するよりもむしろ価値を高めているといえる。
敗戦期にこの資産を守り抜こうとした先人たちの思いが伝わってくる。
世界の中で、この真空な文化資産がどう推移していくのか、
非常にユニークな試みをニッポンは行っているのだと思う。

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