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【漢文記述公文書から開拓期事実の読解】

「北海道ノ内九郡兵部省支配被仰付置候得共、諸事手々ニ相成候テハ
双方共開拓ノ手紛ト相成ニ付、兵部省支配被差免、開拓使へ被相属度事」
・・・相当に根性を入れて読み進むか、あるいは読解アンチョコでもないと
読み下してその事実を正確に把握することは難しい。

明治の北海道開拓と同時に進んだ北海道住宅始原への探究。
いろいろな資料を参照しながら、オモシロく進めております。
別に戦国期の合戦模様とか、幕末の動乱というものとは違うのですが、
記載される内容のひとつひとつが北海道の基本的な成り立ちように直結する。
歴史と言うよりも、どうももっと血肉的な温度感がハンパない。
なんですがこれは「開拓使」という、省庁と同列の政府機構での推移。
幕末戊辰戦争や、日露の樺太を巡っての外交的対峙という
のっぴきならない事態との同時進行状況での政府内部のやりとり。
複線的な動きがどうしても一体的に進行した。
そして電話もインターネットもない時代での東京、京都から遠隔の
北海道が現場である事態。しかも国家意志との複雑な絡みもある、
というようなことで、まるで巨大交響楽を見るような思いがしてきます。
主にいまは、札幌市が編纂した非売品の「新札幌市史」という本を参照している。
この本は昭和56年発刊なので、現代用語で書かれているのですが、
どうしても明治初年の「公文書」に基づいて書かれるので、
その公文書記述は江戸期の漢文尊重気風が残っていて、
はじめに書き記した「兵部省から太政官への上表文」のような記述の山。
〜ちなみにこの文書では、当時樺太での対ロ緊張から北海道の防備強化として
軍を管轄する兵部省が複層的支配だったものが、現地で軋轢を生み
開拓使が北海道一円支配としたい「手打ち」の上申書が書かれている。〜
表現される意味性の高い漢字と、候文のような慣用句、
一部に漢字仮名のような表現もあったりするので、
現代口語文に慣れたわれわれを挑発するような文体が提示されてくる。
官庁の使う言語は基本は漢文的表記で書かれ続けた日本。
それは基本的にアジア世界に限定された世界観だったのが、
明治の開国によってほとんどが欧米列強との対応に変化した。
結果、現代にいたる「日本語の再構築」が進められた歴史事実を
いやになるほどに思い知らされる(笑)とともに、
現代口語文を創造した先人たちの努力に深く感謝の思いを持ちますね。

しかし明治以降の近現代史は高校までの歴史授業では
ほとんど触れられなかったのが事実だということに今頃になって
ようやく気付かされます、なんとも口惜しい。
明治の始め頃にはこういった北海道経営の基本問題があったこと、
基本的には対ロシアの軍事的脅威に対応して、
兵部省・軍が北海道を掌握・経営したかも知れなかった、
そういった経緯があったことを初めて知った次第であります。

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