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【北海道「後方羊蹄」をなぜ「シリベシ」と読むか?】

きのう、奈良時代の陸奧産金と万葉集編纂のことを書きました。
最近、この万葉集のことが令和の命名のことがあって
話題になっていろいろ勉強してきていたこともあります。

で、万葉集のころの日本語表現「万葉かな」のことに触れたのですが、
わたしのブログを応援してくれているShigeru Narabeさんから
この「万葉かな」についてコメントがありまして
〜万葉仮名のまとまった使用は古事記や万葉集あたりからですが、
鉄剣の金象嵌などでは5世紀からすでにあったようです。
今では羊蹄山と呼ばれるシリベシ山も
「後方(シリヘ)羊蹄(シ)という万葉仮名です」〜というご指摘。
おおお、であります。
実はわたし、この「後方羊蹄」という地名漢字がなぜこう付けられたか、
長年疑問には感じていながら探究していなかったのです。
こういうご指摘を受けて、とっさに「阿倍比羅夫」の
古代での海軍的「蝦夷征伐」北征のことが浮かんだ。
かれは、658年から660年の3年間にわたってこの「遠征」をしている。
高校の後輩の考古学者・瀬川拓郎さんはこの遠征に着目して
オホーツク文化人(粛慎と日本書紀には表記されている)との交戦事跡を
発表されたりもしています。で、Wikipediaでも
〜『日本書紀』によれば、斉明天皇4年(658年)に水軍180隻を率いて
蝦夷(北海道)を討ち、さらに粛慎を平らげた。
翌年には再び蝦夷を討って「後方羊蹄(シリベシ)」に至り、
政所を置き郡領を任命して帰った〜と記述されています。
この時代とおぼしき札幌近郊「江別古墳群」というものも発見され、
この日本書紀記述には蓋然性が高い。
・・・といったようなことは知識を持っていたのですが、
この「後方羊蹄」の読みが「万葉かな」由来であるということは
うかつにも気付かなかった次第なのであります。う〜む。

北海道の地名というのはほとんどがアイヌ地名に由来するというのが
一般的な常識であって、そこに道南地域など一部に
和人文化の堆積に比例して和名も加わってきた、という
常識的前提理解に立ってきていた。
そこを疑うというか、疑問を持たずにいたことを思い知らされた。
「後方羊蹄」=後方(シリヘ)羊蹄(シ)という万葉かなであるなら、
北海道の日本式地名としては最初期に相当する。
<現在は後志と書いてシリベシと発音しています。>
古代史で阿倍比羅夫の遠征というのは、あまり関心が寄せられませんが
そういえば、白村江の戦い(663年10月)にも阿倍比羅夫は参陣し、
太宰府の大宰帥(だざいのそつ)大宰府の長官にもなっている。
九州における外交・防衛の責任者となったとされているのですね。
今日的には外務から防衛大臣の河野太郎さんの役割とも類推できるか。
もっと言えば任命者は「安倍」さんだ(笑)。歴史は繰り返す?
この時代、朝鮮半島関係に注力するのは戦略物資「鉄」が絡むので
経済的軍事的に当然だとも思うのですが、同じ武人が
それに先だって北海道にも遠征していたというのは、
この時代の「国家意志」のありようの一端をあらわしている。
北海道とニッポンの関わりということでのミッシンクリンクですね。
う〜む、興味深い領域テーマが立ち上ってきた(笑)。

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