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【万葉かなと陸奧産金 大友家持「万葉集」一首】

休日には歴史探訪写真整理で追体験するのが楽しみ。
日本という国は世界に稀な、単一国家としての歴史が続いている。
きのうも書きましたが、海洋国家という性格から、
他国からの侵略によってのホロコーストが記録では存在していない。
少なくとも、文字記録が残る1500年くらいはそういうことがない。

で、きわめて同質性の高い文化が涵養されてきたけれど、
平安期にいたって成立した「かな文字」の試行は、
万葉集編纂のころからの「万葉かな」にその起源が求められるようです。
政治と経済、文化の総体を国家という存在が管理していた古代、
天皇から万葉集編纂の仕事を命じられた大伴家持さんは
奈良時代にこの仕事を完成させることができた。
写真左側は万葉集に収められた陸奧産金を言祝ぐかれ自身の一首ですが、
漢字はすべて「音」の機能だけで、表意文字としてのものはない。
もともとの「ヤマト言葉」に対して、漢字をすべて当てはめている・・・。
明治のときの欧米文化の巨大受容期にあたっての言語創造は、
その記録もしっかり残っていて漢字文化圏で明治日本が創造した言語が
共通言語化した事実があります。
いまは東アジア世界は非常にバイアスがかかった関係なので
こういう客観的事実は必ずしも共有化されませんが、
韓国の文在寅政権の反日政策で「日本の影響」を否定的にあげつらうなかで、
「大統領」という言葉すら日本製であることにむしろ気付くでしょう。
明治期には欧米文化受容が大きな民族国家的課題だったけれど、
それ以前の奈良期の歴史事実も、この大伴家持さんが中心になった仕事から
明瞭になってくると思います。
奈良時代の初期というのは、白村江の敗戦から半島からの大量移民などがあり、
フロンティア国家として経済発展が急激で、律令国家体制と鎮護国家という
東アジア世界のなかで日本国家創成意識が強かったのでしょう。
国の人口が450万人くらいのときに現在の貨幣換算で4600億円もの巨費を
この大仏建造にかけたと言われるのですから、その熱情はすごい。
そういう時期に言語までの開発創造努力に取り組んでいた。
そして大仏の完成が迫ってくる中で、
その表面を被覆する金を求めて、半島からの帰化人・百済王敬福が
先端技術集団としての探査技術を持って陸奧から産金した。

この写真資料は宮城県涌谷の「黄金山神社」資料館からですが、
奈良期は、明治期とも共通性の高い重要な時期だったと思えてきます。

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