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【3万年前旧石器時代・仙台平野人類痕跡】



きのう「仙台市博物館ではなく伊達氏博物館?」みたいに書いたら、
「そりゃぁあんまりでは」みたいなコメントが。
それもその通りかもとやや反省しております。
ただ、わたしとしては伊達氏がこの地を支配するまでにも、
多くの人類的痕跡があり、非常に興味深いことが多かったのですね。
旧石器時代から、縄文・弥生、古墳時代さらに奥州藤原氏関連など、
尽きない興味が湧いてやまず、その探究に期待したい思いからでした。
で、本日は旧石器の頃の展示からうかがえる歴史。

この仙台平野では海岸線も歴史年代で大きく変遷したようですが、
旧石器の頃は海岸線はいまよりもずっと仙台湾にせり出していた。
広大な平野部が広がっていただろうという。
そして約3万年前頃には、蔵王が噴火しているそうで、
旧石器の遺跡からは、その前後の地層から石器が出土している。
このころのご先祖様たちは、狩猟採集で生計を立てていた。
けっこう広域に獲物を追ってハンティングしていたようです。
山形県特有の石器素材の石が仙台平野で発掘される。
で、この石はいちばんの利用途は投げ矢の先端部だった。
数本の投げ矢を持って、獲物にトドメを刺す用具。
で、こうした石器はまるで袋に入れられたような状況で出土するという。
<一番上の写真のような状況>
たぶん袋は実際に利用され、この先端部は大切に保管されたのでしょう。
寒冷期を経験した人類は、このころには「衣類」は開発していたので、
そういう繊維質利用技術は持っていたに相違ない。
袋自体は炭化して消え去っても石器は「袋に入れられた形」で遺された。
いのちを繋いでいく最大の利器に対して、
それを進化発展させる工夫や保管への細心の注意は当然でしょう。
獲物を得る目的のため、ああでもないこうでもないと工夫した。
ハンターとしての身体的能力はたぶん10代が最高で、
その年代を過ぎて生き延びていた「老人」たちは、
この道具の工夫を続けただろうと推測できる。
2枚目の写真では、そういった道具としての石器の進化が明示されている。
適当な素材の石を発見する能力、
それを用途にあわせて複雑に加工する能力、
人間の身体機能とのバランスを調整する能力、
などなど、実に多様な「道具開発力」が日々、進化していたに違いない。
これら写真を見ていて、そうした想像力が刺激され続ける。
たぶん、アタマのなかでの思惟活動では、現代にまで至る
人類の技術の基本のあらゆることが、想起されていたに違いない。
ということを思い浮かべると先人へのリスペクトが沸き立ってやみません。

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