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【窓開口vs外部視線の「サバイバル」バトル】

先日密集地域での住宅建設のキモになる窓開口について書きました。
優秀な設計者はカーテン遮蔽なしでも成立する窓開口計画を練るべき、
というご意見を紹介させていただいた。
それは近隣への配慮として、あとからその地に参入する側として
当然わきまえているべき「マナー」であるとも思われました。

しかしこういった外部視線との敏感な「バトル」について
かなり過激な意見というのもある。
「この窓、外を見たら近隣の人と目線があったりすることありそうですね」
「・・・ありえますね。」
「どうなのかなぁ?」
「でもね、そのタイミング、ばったり出くわしたときにどうするか」
「え、どういうこと?」
「そのファーストコンタクトが,実は勝負なんですよ」
「そのときに、何食わぬ顔で平然と自然にふるまっていると
相方の方から遠慮をしてもらえるようになる」
「先方の方で先に窓の遮蔽としてカーテンなどを付けるようになる」
「こちらの方はカーテンなしで遠慮せずに生活できる」
「このあたりが、密集地域でのギリギリのサイレントバトル」
・・・というような趣旨の話を聞いたことがあった。
なにやら自然的な動物界での「生存競争」、過酷なオキテ
みたいなものを感じさせられる意見。また、一種のブラックジョーク?
見られてしまうことを受容した上で、自分の自由生活領域を拡大させる
というような「効果」は得られるのかも知れません。
限られた自分の敷地・建物内での自由の枠を拡大させる、ということ。

たぶん人類が都市集住という生存スタイルを主に選択するようになって
それ以降、こういった条件下での生き残り作戦として
このような心理ゲームバトルを戦ってきたのかも知れない。
そこでの格闘技的な「心得」がこういったコトバに凝集しているのか。
また日本人はこういった視線とか、音漏れとか
そうしたことについて意図的な鈍感さを文化ともしてきたのではないか。
襖1枚程度か,それ同等くらいのうすい音のダダ漏れ環境で
「聞こえなかったことにする」「見なかったことにする」
っていうような生活文化の部分があるように感じます。
いわば「お互い様」というような心理部分。
もちろん住宅設計や建築に於いては、あくまでも建築的に
このことをコントロールするべきというのが大原則ではあるでしょう。
少なくとも注文住宅においては、ただただ相互のカーテン遮蔽だけに頼るのは
避けたいモノだと思いますね。

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