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【記憶になっていく災害 木造応急仮設in住田】


先日、企画の関係で訪れた陸前高田ですが、
沿岸の陸前高田には、高速東北道から釜石道に道をとり
遠野を抜けて、住田を経由してたどりつく。
途中なんども既視感が蘇っていましたが、
そうです、東日本大震災の時に特別の情報誌を作って
その取材でなんどか通った「住田」のことが思い出されていた。
そして道路沿いにこれも見学していた「木造応急仮設住宅」の
中上団地が独特の道路標識とともに見つけられた。
あのころからすでに7年以上が経過していることが信じられない思い。

住田町は陸前高田、大船渡と隣接し、広域的に「気仙」と呼称された。
森林資源に恵まれて、古くから「気仙大工」の伝統が根付いている。
2011年の震災、大津波に際して全的被災にあった陸前高田の人々に対して
最初に自然発生的に仮設住宅提供を申し入れしかも地域の
住文化を同じくする同胞の感覚もあって「木造で」と申し入れた。
「仮設住宅」といえば戦後の工業化政策を推進してきた行政府側常識として
「工場生産されパネル化住宅」が常識となっていたのに対して、
地域としての「異議申し立て」を明確に打ち出したと思われた。
そういう地域としての気仙の意気のような部分をそこに読み取り
そうした思いに呼応するように、その後、福島県でも大量の木造仮設が作られた。
そういった一種の「記念碑」的な存在が住田町のこの住宅群なのです。

気仙大工という存在がどういった存在であるのか、詳しくは知りません。
ただ、奥州平泉にあれだけの仏閣を造作した集団があったことは間違いが無く、
それくらいの時代からなんらかの大工集団はあったのではと想像します。
住田は森林資源も豊富でこういった木材加工の技術が積層されても不思議はない。
一度、住田町で大きな伝統木造系の住宅研究団体の大会が開かれ
大人数だったので、わたしはホテル宿泊ではなく民宿させていただけた。
客間としての床の間付きの和室で起居させていただいた。
それほど寒冷の時期では無かったけれど、朝方の冷え込みようは格別で(笑)
むしろ日が昇ってからは暖気をもとめて散歩に出掛けた記憶がある。
木を使って形を作るという意味では気仙大工にリスペクトを持つけれど
やはりカタチだけでは限界があると思い知った記憶がある。
伝統的な家屋はそうだったけれど、この写真のような木造仮設では
最新の住宅工法をしっかり受容し「暖かい家」を意図する作りとされていた。
・・・といった記憶からもすでに6−7年が過ぎている。
つい最近では北海道でも地震災害が訪れブラックアウトも引き起こした。
災害列島に暮らす人間同士、知恵と工夫を共有して
共存していきたいという思いに浸っておりました。

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