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【全的津波被災から7年の陸前高田へ】



街がまるごと消失したに等しい岩手県・陸前高田。
わたし自身も「東北の住まい再生」という情報冊子を作ったりして
これまでも何度か、取材などで訪問してきています。
また、隣町にあたる「住田町」にも何度も訪問してきました。
その都度、被災から街がどう復元していくのか、
その状況をウォッチしてきています。
この写真はきのう、2018年10月31日の時点のものになります。
高田の松原で奇跡的に残った1本の松など、
東日本大震災の話題になるとき、忘れられないエピソードとして語られた。
きのうは遠野への用件があったので、もう1件ということで
陸前高田の用向きもあって通ってみた次第。

時間的には夕方5時過ぎに当たったのですが、
活発な「復旧土木工事」関係の車両などがあって、車通りはかなりある。
中心市街にも煌々とした灯りを放っているクルマ社会対応的な店舗群があり、
広い駐車場にはクルマで訪れている人も多くあったようです。
現代の「地方」では当然ながらインフラとしてクルマは欠かせないので、
市街地が再興されるとすれば、このようなクルマ社会対応になるのが自然でしょう。
そういう意味では震災津波被災以前の陸前高田の市街地に復元することはない。
復元工事も相当に長い期間が想定されるので、それに対応した
商業施設側の「資本投下、償却限度」の見合いの範囲で
「にぎわい」のスパンが想定されていわば自然に街が復元していく。
下2枚の「憩い」の演出としての商業施設も
それなりの「需要と供給」の関係の元に成立しているのかと思われました。
地域のみなさんの住宅は、周辺の「高台地域」に集住状況が見られた。
山地が住宅地として整備されてきている状況と思われました。

わたしの数少ない「都市環境経験」的にはどうも「横浜」との
類縁感が印象された。
横浜は平地がたいへん少なくて、住宅は多くが上り下りの激しい山地に
軒を接して建て込んでいるという印象です。
少ない平地は公的な施設群や商業施設が占拠しているイメージ。
都市計画がどのように策定されているかは取材していませんが、
印象からはこういったイメージを持った次第です。
中心的市街とそのなかの交通である道路の基本骨格状況が姿を見せはじめ
それらが「地域の暮らしの核」となって成長していくのか、
また、現代生活での目の肥えた住民に対して「集客力」を
持続的にも勝ち取ることが出来ていくのか。
店舗群の「全国どこにもあるロゴ群」を見ながら考えておりました。

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