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【始原の建築を支えた道具たち】


以前このブログで書きましたが、
日本列島に人類が到達したのは、当時大陸と陸続きだった台湾地域から
約3万年ほど前のことであって、この列島への進出に当たっては、
それまでの葦船から丸木舟への技術進化があった、とされている。
その丸木舟を作るためには「木を切る」技術が不可欠で、
そのときに「石斧」が開発されて、多数の丸木舟が生産された。
大工の世界で、船大工と家大工という2系統があって、
船大工の方がより古層の技術体系であると伝承されていますね。
この「技術目的」と現生人類の世界進出は深く関わっている事象なのでしょう。
で、当時は「石器」文化の時代で非農耕、狩猟採集ライフスタイル。
そういう生き方の人類がこの東アジア弧状列島で、暖流と寒流がぶつかって、
豊富でおいしい漁業資源と出会って、縄文的ライフスタイル、
漁労と森林植物採集、木質バイオマス燃料という基本生存方法で生きてきた。
世界的にも珍しい、非農耕なのに「定住」性の高い生活を獲得した。
日本列島社会では、ここに移り住んできた経緯に即して
「木を扱う」技術が濃厚に発達していったのではないかと想像できる。
そんなふうに歴史考古の世界で理解が進んできていると思っています。
木で家を建てる、当時の常識としては
「竪穴」を建てることになりますが、室内気候安定のために、
より防風性と温度環境性能の高い半地下空間を持つことが一般的に追究された。
住居の進化は、こうした「住宅性能」が主導して進んできたことは明白。
たぶん「木を切る」ということと「縦穴を掘る」ということが、
最大の技術進化要因だっただろうことも明らかでしょうね。

神戸の新幹線駅直近にある「竹中大工道具館」見学、
長年の念願が実って、今回駆け足ながらようやくできました。
で、いの一番の展示に、この「石斧」のことが展示されていた。
石斧と鉄斧の間には、巨大な技術進化があり、同時に農耕文化の発展があった。
一方で、土を掘る、地面を掘り下げるのには、
どんな道具が使われたのかという点では、
2番目の写真のようなものだったようですね。
「地面を掘り下げる」という建築的目的に向かって、こういった自然木観察と、
その道具としての利用を人類は工夫してきた。
この写真はアイヌの女性の穴掘りの光景ですが、
使っている道具は、「踏み鋤」と呼ばれるものです。
見るとどうも自然木で先が2方向に分かれたものを探して、
若干の「加工」を施したとおぼしき形状ですね。
こういった「木の道具」というのは、なかなか考古的には残らないようです。
すぐに炭化して土に還ってしまう。
こういう木を切る技術と竪穴を掘る技術の両方が理解出来て、
始原の家づくりの道具のピースが埋まってきた感じがします。

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